栃木県内で最初に発行された新聞は「栃木新誌」と呼ばれるもので、明治七年(一八七四)四月五日、栃木の万町の報聞社が発行したものとされている。この新聞は雑誌のような形で和紙でとじられたものであった。同十一年(一八七八)六月五日創刊の「栃木新聞」はタブロイド版四ページとなって、同十七年栃木県庁が宇都宮へ移転すると、新聞社も移転して「下野新聞」として本格的な郷土紙となっていったのである。
大田原地方においては、昭和の初めころまでには、北下野新聞・東野公論・塩那毎日新聞・下野光建新聞等が発行されている。内容についての詳述はむずかしいが「栃木県史・史料編」には第2表に示す地方紙が記載されている。
第2表 新聞・雑誌一覧 |
新聞・雑誌名 | 保証金積立年月日 | 責任者住所・氏名 | 払戻年月日 | 摘要 |
下野民報 | 大正一四・一二・一〇 | 大田原町 高野倉吉 | 昭和四・二・二六 | 昭和四・二・二六日廃刊 |
北下野 | 昭和二・八・三〇 | 〃 田村一子 | 〃 八・六・二一 | 払戻廃刊 |
東野公論 | 〃 三・一・一六 | 〃 綿貫茂 | 〃 六・六・四 | 昭和六・六・四廃刊ニ付払渡 |
塩那毎日新聞 | 〃 三・六・二五 | 〃 君島次郎 | 〃 四・一・七 | |
新聞紙下野光建 | 〃 三・七・四 | 〃 常松金一 | 〃 一三・一〇・七 | 廃刊 |
那須産連ニュース(那須タイムス) | 〃 九・七・二〇 | 〃 吉沢修隆 | 〃 一三・三・八 | 失効下戻 |
下野毎日新聞 | 〃 九・一二・七 | 〃 田村克 | 〃 一〇・五・四 | 払戻 |
大栃木新聞 | 〃 一三・四・六 | 〃 綿貫茂 | 〃 一三・一〇・一二 | 下戻廃刊 |
(「栃木県史 史料編・近現代八」) |
次の各資料は、昭和初期のころの佐久山町における青年団による文化活動の一端と町民の新聞・雑誌等の読書傾向を調査したものである。他の町村においても、当時においては、ほぼ同様な傾向であったと推察されるので参考に供したい。
「図書館並巡回文庫」
図書館ナシ
巡回文庫
名称 佐久山町青年団巡回文庫
創立 大正十三年一月
組織 団ニ学芸部長及副部長アリ、各支部ニ支部長アリテ其ノ巡回整理ニアタル
購入法、費用ハ団費(活動写真其他共同作業ノ収益)総会ノ際ノ相談ニヨリ最モ希望多数ノモノヲ団ノ予算額ノ範囲内ニ於テ購入
回覧法、各支部ニ一固(個)ヲ置キ月一回支部ヨリ支部ニ巡回
書籍数、二百冊 所有、青年団
図書館ナシ
巡回文庫
名称 佐久山町青年団巡回文庫
創立 大正十三年一月
組織 団ニ学芸部長及副部長アリ、各支部ニ支部長アリテ其ノ巡回整理ニアタル
購入法、費用ハ団費(活動写真其他共同作業ノ収益)総会ノ際ノ相談ニヨリ最モ希望多数ノモノヲ団ノ予算額ノ範囲内ニ於テ購入
回覧法、各支部ニ一固(個)ヲ置キ月一回支部ヨリ支部ニ巡回
書籍数、二百冊 所有、青年団
(「那須郡郷土地誌資料」佐久山小学校所蔵)
講読セラルゝ新聞雑誌
新聞名及部数
東京日々新聞 一八〇
国民新聞 一〇〇
下野新聞 八五
東京朝日新聞 八〇
時事新聞 七〇
報知新聞 三〇
読売新聞 二〇
都新聞 六
雑誌及冊数
キング 二〇
フジ 三
講談倶楽部 五
講談雑誌 三
朝日 三
オール読物号 二
キネマ 二
モダン日本 五
少年倶楽部 一五
少女倶楽部 五
少年世界 二
受験ト学生 二
考へ方 二
婦人世界 三
婦人倶楽部 一五
主婦ノ友 二〇
一年生 二
二年生 二
三年生 二
四年生 二
五年生 二
六年生 二
子供ノクニ 三
幼年倶楽部 一〇
ニハトリノ研究 一
野球界 一
婦女界 五
婦人公論 五
教員受験生 三
文験受験生 一
農業世界 五
副業雑誌 二
文芸倶楽部 二
犯罪実話 二
診断ト治療 一
演芸画報 一
三年ノ英語 一
スピード 一
読物(書籍)ノ調査
一、家庭ノ読物
倫理哲学方面 一七
文芸方面 一九
宗教修養方面 三六
教育政治経済方面 一九
実用方面 六
娯楽方面 四
二、青少年ノ読物
倫理哲学方面 三
文芸方面 二一
宗教修養方面 二七
娯楽方面 一六
(当時の世帯数は、六九四戸である)
太平洋戦争が終って、昭和二十七年ころの大田原地方における新聞等の購読状況はいかがであったろうか。佐久山町、親園村の要覧より転記すると次のようである(第3・4表)。
新聞名及部数
東京日々新聞 一八〇
国民新聞 一〇〇
下野新聞 八五
東京朝日新聞 八〇
時事新聞 七〇
報知新聞 三〇
読売新聞 二〇
都新聞 六
雑誌及冊数
キング 二〇
フジ 三
講談倶楽部 五
講談雑誌 三
朝日 三
オール読物号 二
キネマ 二
モダン日本 五
少年倶楽部 一五
少女倶楽部 五
少年世界 二
受験ト学生 二
考へ方 二
婦人世界 三
婦人倶楽部 一五
主婦ノ友 二〇
一年生 二
二年生 二
三年生 二
四年生 二
五年生 二
六年生 二
子供ノクニ 三
幼年倶楽部 一〇
ニハトリノ研究 一
野球界 一
婦女界 五
婦人公論 五
教員受験生 三
文験受験生 一
農業世界 五
副業雑誌 二
文芸倶楽部 二
犯罪実話 二
診断ト治療 一
演芸画報 一
三年ノ英語 一
スピード 一
読物(書籍)ノ調査
一、家庭ノ読物
倫理哲学方面 一七
文芸方面 一九
宗教修養方面 三六
教育政治経済方面 一九
実用方面 六
娯楽方面 四
二、青少年ノ読物
倫理哲学方面 三
文芸方面 二一
宗教修養方面 二七
娯楽方面 一六
(「那須郡郷土地誌資料」佐久山小学校所蔵)
(当時の世帯数は、六九四戸である)
太平洋戦争が終って、昭和二十七年ころの大田原地方における新聞等の購読状況はいかがであったろうか。佐久山町、親園村の要覧より転記すると次のようである(第3・4表)。
第3表 親園村 新聞購読普及率 |
部 | % | 部 | % | ||
読売 | 二六三 | 三二・八 | 下野 | 一四六 | 一八・二 |
朝日 | 二〇一 | 二五・一 | 日経 | 二三 | 二・八 |
毎日 | 一三〇 | 一六・二 | 其他 | 三六 | 四・五 |
計 | 七九九 | 一〇〇 |
※ 当時の世帯戸数は八〇五である |
(「村勢要覧 親園村」昭和二七年度) |
第4表 佐久山町 ラジオの普及及び新聞購読状況(昭和二八・一二・三一現在) |
部落名 | ラジオ備付台数 | 毎日新聞 | 朝日新聞 | 読売新聞 | 下野新聞 | 栃木新聞 | 産経新聞 | 其の他 |
岩井町 | 三四 | 二 | 四 | 七 | 九 | 四 | 三 | ― |
桜町 | 二一 | 一 | 五 | 五 | 七 | 一 | 一 | ― |
上町 | 三四 | 五 | 一〇 | 五 | 一五 | 三 | 四 | ― |
中町 | 三五 | 四 | 一三 | 五 | 六 | 一 | 三 | 三 |
下町 | 四三 | 七 | 一二 | 一二 | 七 | 五 | 一 | 二 |
荒町 | 五七 | 四 | 八 | 一八 | 一三 | 四 | 四 | 二 |
新町 | 四〇 | 六 | 一二 | 八 | 一〇 | 三 | 三 | ― |
松原 | 九 | ― | ― | ― | ― | ― | ― | ― |
大沢 | 二六 | 二 | 一三 | 五 | 七 | ― | 二 | 二 |
葉ノ木沢 | 二 | 一 | 一 | 二 | ― | 三 | ― | 一 |
平山 | 一九 | 二 | 三 | 五 | 二 | 二 | ― | 三 |
佐南 | 二九 | 三 | 三 | 五 | 五 | ― | ― | 四 |
藤沢 | 二四 | 三 | 二 | 四 | 五 | 一 | ― | 三 |
琵琶池 | 八 | 八 | ― | 一 | 一〇 | 三 | ― | 一 |
大神 | 四四 | 一五 | 四 | 二 | 一六 | 四 | 四 | 八 |
大南 | 二六 | 二 | 六 | 六 | 一九 | 二 | ― | 二 |
福原 | 八七 | 一三 | 五 | 七 | 四二 | 二〇 | 四 | 八 |
福南 | 三九 | 二 | 四 | 二 | 一五 | 六 | 三 | ― |
計 | 五七七 | 八〇 | 一〇五 | 九九 | 一八八 | 六二 | 三二 | 三九 |
※ 当時の世帯戸数は八六八である。 |
(「町勢要覧 佐久山町」昭和二八年度) |