文化財保存制度の沿革

1343 ~ 1344
わが国の近代的な文化財保護政策の始まりは、明治四年(一八七一)の「古器旧物保存方」の布告や文部省博物局の設置など、明治五年の学制発布と前後して始まり、進められるようになったのであるが、その後、同三十年に「古社寺保存法」が制定され、それは伝統的な文化遺産の保護策として、古寺社に関する建造物及び宝物類の保護に関して規定されたのである。そして大正八年には「史蹟名勝天然紀念物保存法」が制定され、保護の対象は土地、動植物等まで拡大された。さらに昭和四年には、「国宝保存法」、昭和八年には「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定されて、いわゆる重要美術品等認定物件の保護を始めとして、その輸出には文部省許可を必要とすることとなったのである。
 このように明治初期以来、我が国の保護行政は積極的な保存整備がとられてきたが、昭和二十四年の法隆寺金堂壁画焼損を契機として、翌二十五年にはわが国における文化財の保護行政上画期的な「文化財保護法」が成立するに至ったのである。
 現行の文化財保護法は、同五十年五月一部法律が改正され、保護の対象として、従来の建造物・美術工芸品・史跡名勝天然記念物のほか、新たに民俗文化財・埋蔵文化財・無形文化財の分野まで拡大し、これらを統一的・総合的に保護する規定となっているのである。
 市では、昭和三十五年八月五日、大田原市条例第八号「大田原市文化財保護条例」、同月十五日、大田原市教育委員会規則第四号「大田原市文化財保護審議委員等に関する規則」を制定したが、文化財保護法の改正(昭和五十年七月一日)に伴い、昭和三十五年に制定した市文化財保護条例・規則を廃止し、新しく「大田原市文化財保護条例」(昭和五十二年三月三十一日条例第一四号)並びに「大田原市文化財保護条例施行規則」(昭和五十二年三月三十一日教委規則第一号)を制定し、文化財保護のいっそうの充実強化を図り、価値ある貴重な文化財を守るために、これを積極的に指定するとともに、適切に保存し、かつ、活用するための制度を整備したのである。
 文化財保護法による本市所在の国指定文化財は二件、栃木県文化財保護条例による県指定文化財は一一件、本市文化財保護条例による市指定文化財は、同五十六年三月三十一日現在で六六件を数え、文化財の種類、名称等は第二節指定文化財一覧のとおりである。