八 那須神社本殿 附寛永大修理銅銘板 三間社流造、身舎側面二間、銅板葺

1356 ~ 1357
 那須神社は仁徳天皇(三一三~三九九)の御代の創立と伝え、さらに延暦年中(七八二~八〇六)征夷大将軍坂上田村麿が応仁天皇を勧請して八幡宮としたという。その後那須氏の崇敬篤く、那須氏没落の後、黒羽城主大関氏の氏神としてあがめられた。近世に入って社殿は大関氏により、天正五年(一五七七)本殿・拝殿・楼門が再興されたと社記は伝えている。現在の本殿には、銅板の銘文があり、寛永十八年(一六四一)夏に大関土佐守丹氏高増が施主となって八幡宮を建立したことが明かであり、大工名、鍛冶名も記されている。なお大関美作守高増より奉納された天正五年の年記のある鍔口(前記)がある。
 装飾は蟇股内と妻部にある程度で全体に古風である。
 寛永大修理銅銘板には次の銘が記されている。
  施主 大関土佐守丹氏高増
 干時寛永十八年辛巳孟夏吉祥辰日欽白
 奉行       大工
  大沼助左右衛門  高宮次右衛門
       貞清   同 市兵衛
  小滝喜右衛門  鍛冶
  真板与五右衛   且右衛門包秀