薬師堂内に安置されている金剛力士像二躯は、もと同所にあった天台宗雨薬山吉祥院の塔頭である薬師堂の正面、仁王門に安置されてあったが、万延二年(一八六一)二月の下町火事によって仁王門が焼失し、以来堂宇内に安置されている。
この像は共に、木彫漆塗立像で、金剛像(阿形)の方は丈二・一三メートル、頭部の高さ〇・六六メートル、足の踏み張り幅〇・七八メートルである。他方の力士像(吽形)は、丈二・一六メートル、頭の高さ〇・六二メートル、足の踏み張り幅〇・七八メートルのもので、作者年代は不明であるが、江戸時代中期以降の作と思われ、古くはないが力作であり、当市唯一のものである。薬師堂は大田原城四方固めの一つで、西薬師と呼ばれている。