「五方通語」は、日・英・仏・蘭・ラテン語の五か国語を集め、イロハ順に配列し、洋学者が洋文を書くための参考としたものである。
村上英俊(義茂)は、文化八年(一八一一)四月八日、佐久山本陣を経営するかたわら、医師を業とする村上松園の長男として生まれた。
文政七年(一八二四)英俊一家は江戸に移り、江戸で漢学、医術を学び、蘭学は宇田川榕庵について学んだ。天保十二年(一八四一)英俊信州松代において蘭学を講義した。のち弘化元年(一八四四)松代藩主真田家に仕え、佐久間象山の勧めで仏語を独習し、嘉永四年(一八五一)再び江戸に出て、同七年(一八五四)には日本で最初の仏語手引書「三語便覧」を出した。次いで、仏英訓弁・五方通語・仏蘭西詞林・英語箋・仏語明要・三国会語・西洋史記などを著記した。その間に安政六年(一八五九)幕府の藩書調書の教授手伝、翻訳方となる。明治十五年東京学士院会員に推され、同十八年仏大総領から、日本に仏語学を創した功に対して、レジョン・ド・ヌール勲章が贈られた。英俊は明治二十三年一月十日、八〇歳で永眠した。
英俊の主要な著書が、英俊ゆかりの佐久山の地吉田英夫の蔵書の中に残されている。
三語便覧