三三 武将起請文 五通

1374 ~ 1377
 那須家の祈願所で、下野三金剛の一つである金剛寿院に残されている武将起請文は、戦国時代下野の豪族那須氏と、常陸の佐竹氏の関係を知る上での貴重なものである。
 起請文は祭文・告文・神文・誓詞ともいわれ、現在及び将来にわたって遵守履行すべきを述べた文書を起請といい、違背した場合に神仏の罰を受けることを、神仏にかけて誓約する文書をいった。多く武将間で用いられ、鎌倉中期以後諸社の発行する牛王宝印(一種の護符)の裏面を用いて書くのが通例である。本書はいずれも熊野三山より発行された牛王宝印の裏面に書かれている。
 弘治三年(一五五七)佐竹義昭より那須資胤宛   二通
 元亀三年(一五七二)佐竹義重より那須資胤宛   一通
 天正十年(一五八二)佐竹義重より那須資晴宛   一通
 年代不詳九月五日右衛門佐綱繁より一笑軒宛    一通
 
(一) 佐竹義昭起請文
  起請文之事
一於自今以後、無二ニ可申談事
一別而申合候上、自今已後資胤(那須)江逆心之者、不可及引汲事
一縁辺之義申合候上、不可有違却事、付表裏不可有之事
 右此三ケ条至子偽者、
上ニハ梵天帝釈、四大天王、下ニハ堅窂地神、熊野三所大権現、春日大明神、日光三所権現、当国(常陸)鎮守鹿嶋大明神、八幡大菩薩、摩利支尊天、惣而日本六十余劦大小神祇、可蒙御罰者也、仍而如件、
 弘治三年丁已拾月十二日 義昭(佐竹)
 那須(資胤)殿
 
(二) 佐竹義昭起請文
  敬白 起請文之事
 以前如申合、縁辺之儀聊無別条候、
   若此儀偽候者、
上ニハ梵天帝尺、四大天皇(王)、下ニハ堅窂地神、別而ハ熊野三所権現、日光三所権現、当国(常陸)之鎮守鹿嶋大明神、八満(幡)大菩薩、惣而日本国之大小神祇、御照覧可有之者也如件、
  霜月廿八日  義昭(佐竹)
   那須殿
(三) 佐竹義重起請文
   起請文之事
敬白
 向後互浮沈吉凶共、無表裏、無二可申合事、付侫人申成も候者、互可申承事、若此儀偽候者、
上者梵天帝尺、四大天王、下者堅窂地神、熊野三所大権現、日光三所権現、別当国(常陸)鹿嶋大明神、八幡大菩薩、摩利支尊天、惣日本国大小神祇、則可蒙罸候也、仍如件
 元亀三季六月廿一日 義重(佐竹)
  那須(資胤)殿
 
(四) 佐竹義重起請文
   起請文
右意趣者、度々以証文雖申合候、猶於向後も於此地世上浮沈共、資晴親父子ヘ無ニ可申合候事、付互ニ蜜事不可有他言候、并侫人之取成候者、則糺明可申事、
 若此義於偽者
上者梵天帝尺、四大天王、下者堅窂地神、熊野三所大権現、日光三所権現、当国(常陸)鹿嶋大明神、八幡大菩薩、別而愛宕大権現、惣而日本国大小神祇、即可蒙御罸者也、
  仍如件、
 天正十年六月廿四日 義重(佐竹)
   烏山南
   那須殿
 
(五) 右衛門佐綱繁起請文
 敬白
   起請文
日本之大小神祇、殊者
日光三所権現
宇都宮大明神
温泉大明神
广(摩)利支尊天
八幡大菩薩
可有照覧候、於自今以後、吉凶共御貴所様御一世、又拙者一世之間、可申談候、恐々謹言
  九月五日 右衛門佐綱繁
   一笑軒