三六 半鐘 一口

1380 ~ 1381
総高 五二センチメートル、竜頭 一一センチメートル、笠形高 四センチメートル、鐘身 四八センチメートル、撞座径 六センチメートル、撞座中心高 一〇センチメートル、口径 三〇・七センチメートル、口縁厚 三センチメートル、

 上薄葉区長の管理する半鐘は、青銅鋳造で、乳はその数四八個(乳の間に三段四列)を数え撞座二箇所、下帯に唐草花文を鋳出する。四区の池の間には、願文の全文一三六字並に願主の芳名・鋳造年月・鋳工銘等五一字計一八七字が陰刻されている。
 鐘は江戸中期享保七年(一七二二)九月の鋳造、願主は上薄葉薬王寺、僧宥誉で鋳物師は中島九兵衛である。形状は技巧的に走っていて、駒の爪が太く外に出張っていて江戸時代の特徴をよく現わしている。
 銘文は、佐久山館主福原資倍侯の子孫繁栄をはじめとして、天下の安全、寺院内の安全、興隆並に上薄葉の豊饒と諸願が刻してある。この鐘は明治のはじめ、上薄葉からこつ然と消え、打つ手もなく、そのままになっていたが、昭和四十八年矢板市立足地区の火の見やぐらに、現役として使われていることがわかり、代表が再三にわたって返還交渉した結果、上薄葉地区にもどったものである。
 上薄葉と佐久山領主の領民との歴史を知るうえに貴重なものと思われる。
 願文
敬白奉係半鐘一口 事願諸賢聖同 入瑠璃光如来堂願 諸四衆倶時離苦 厥鐘者聖衆降臨 梯撜普根繋発方使也因茲往昔大王
  推鐘者求〓法千頭 大魚告功免釼苦爰 依多年願望求得一 口半鐘是併為天下 安全大檀那資倍公 御子孫繁栄院内安 全興隆仏法当村豊 饒滅罪生善利益〓 生也〓三業重障随 響消滅自他所求 応聞同成而已願主 下野国那須郡上薄葉村
   薬王院住僧 宥誉
   筆者威徳院現住 法印 行深
   鋳師中島九兵衛
   享保七壬寅天
        敬白
      九月吉祥日