一、阿玉台式 大形深鉢 縄文中期(湯坂遺跡)一点
高さ六一・五センチメートル、口径四四センチメートル、底径一三・二センチメートル
湯坂遺跡は昭和三十二年十月以来二次に及ぶ発掘調査があり、北関東中期縄文式の前半から後半に移る時期の、標準となる遺跡である。この土器はその代表的なもので、第一次の時T1―5区の土壙内から出土した。いわゆるキャリパー型の深鉢で、高く大きな山形の突起口縁部を四個もち、渦巻やS字状の隆線をめぐらし、それに平行して突刺文や沈線も用い、その間には充填縄文を施すなど、縄文中期中葉の特徴をもち、本遺跡の重要性を示す貴重な資料である(「前編」参照)。
二、称名寺式 大形深鉢 縄文後期初頭 一点
高さ五一・八センチメートル、口径三七センチメートル、底径七・五センチメートル
湯坂地区北東の余瀬寄りの畑地内出土といわれる。隆線など立体的な文様はなく、口縁部上部はわずかに波状をなし、また器形は中くびれで、口縁が内弯している。器表全面に称名寺式特有の雲状磨消縄文がみられ、関東北部における本型式土器の標準になるもの。