四五 天祭(八竜神社)

1389 ~ 1390
 天祭は天念仏又は天道念仏ともいわれ、神式で行われる時の名称である。羽田の天祭は、まず八竜神社祭礼の前日七月二十七日早朝より保存会の人たちによって天棚組立を行う。この天棚は高さ九メートルほどの四本柱を立て、頂上に注連縄を張り、中心に御幣束を設け、中段七メートルの所に行棚を設け、下段五・二メートルの所に囃子方棚を設ける。この天棚の四方を清め、村内の安全と五穀豊饒を祈願する棚祭にはじまる。この棚祭りを八竜神社の祭神に報告したのち、太鼓と笛により「御山は晴天」という楽を奏し、山を開いて四方をはらい清め、次の楽が奉納される。
  一、御山は晴天
  二、御山くずし
  三、平
  四、平切り
  五、平返し
  六、平の中切り
  七、平流し
  八、平くずし
  九、岡崎
 一〇、岡崎くずし
 一一、天神囃子
 一二、数え唄
 一三、二遍返し
 一四、十二神楽
 楽を一曲終了するごとに一同で、「六根清浄」を和し、「今日の夕日の降ちより、明日の夕日の降ちまで」一昼夜奏する行事である。口伝によれば、江戸末期より八竜神社の登り口十王堂で行われていた天念仏が、大正十一年に天祭としての形式を新たに整え、八竜神社の祭礼に奉納され、現在に至っているものである。
 大田原市内には、以前一七か所で天念仏行事が行われていたが、明治中期から昭和三十年頃までに次々と消滅して、現在では貴重な存在となっている。