この真子遺跡は、昭和三十九年と同四十年の二次にわたる発掘調査により、縄文中期の後半から後期前半の敷石住居跡と配石遺構、遺物には後期堀之内式土器を主体として、中期阿玉台および加曽利E式・同B式の土器など、中期後半から後期に移行する諸相がみられ、その他土版・土偶・石鏃・石斧・石皿・敲石など多数の遺物を出土している。
敷石住居跡は床面に平らな石を敷つめてあり中央やや東寄りに、石囲炉がつくられている。敷石住居跡は当時この例が栃木県内唯一の発掘例といわれた。配石構は河原石を帯状に並べたもので、祭祀遺跡、墓壙などが考えられるが、今の段階では未だ研究の余地が残されている(「前編」参照)。