中田原墓所は上坊と呼ばれ、胤清、資清(大田原城築城する)綱清が葬られている。
二、光真寺東墓所
晴清、政清、高清の墓所であったが、元禄年間(一六八八~一七〇四)に西墓所(現在地)に移される。現在は「旧藩主大田原家東御廟霊」の碑がある。
三、光真寺西墓所
扶清、富清、一清(最後の藩主)が葬られている。典清、純清、清信、建清、友清、庸清、光清、愛清、広清らは東京芝高輪泉岳寺に葬られているが、当所にも墓碑並びに大田原家歴代藩主合祀碑がある。
光真寺は天文十四年(一五四五)大田原備前守資清が創建し、資清の兄麟道和尚が開山第一世で寺領五〇〇石を有した。
光真寺は天文十四年(一五四五)大田原備前守資清が創建し、資清の兄麟道和尚が開山第一世で寺領五〇〇石を有した。
大田原氏墓所