五九 福原氏墓所

1402 ~ 1403
 福原氏の墓所は、実相院本堂の裏手に、福原氏の始祖四郎久隆より資広・資時・資義・資継・資陣・資常・資益・資規・資英・資衡・資郡・資孝・資広・資保の合祀碑及び資盛の墓碑を中央に配し、この前面に資清・資重・資倍・資祀・資宣・資明・資克・資敬・資深・資順・資功・資生(最後の館主)の墓碑がある。
 久隆より資郡までは福原永興寺より改葬されたもの、資宣・資明・資克・資順は東京浅草曹源寺に葬られたが、改葬されたものと思われる。福原氏歴代の墓所として、江戸時代領主層の霊屋の様式をそのまま完全に残している。

福原氏墓所

 那須一族の福原氏は、那須太郎資隆の四子、四郎久隆を始祖とし、初め福原に居を構え、のち佐久山氏を亡ぼして佐久山四つ谷に移り、江戸中期に佐久山城に移った。天正十八年(一五九〇)小田原の陣のとき秀吉から福原の領地を安堵され、慶長五年(一六〇〇)の関ケ原の役には東軍に応じ、大阪夏・冬の陣には徳川方の那須七騎として出陣している。