大正九年(一九二〇)になると、新鋭の消防機械としてガソリンポンプ一台が配置され、消火能力を一段と高めることになった。また、点検式には初めて分列行進を実施し、県下にその名をとどろかせたとのことである。
翌十年、大田原消防組は、栃木県消防義会から優良消防組として表彰を受けた、
表彰状
大田原消防組
右ハ組員一致協力消防ニ
精励シ、機械器具ノ改良
整備優良ナルモノト認ム
仍テ茲ニ旗冠ヲ授与シ
之ヲ表彰ス
大正十年十一月六日
栃木県消防義会
従四位勲三等 手塚彰義
(大田原市消防本部資料)
この時の組頭は若林末造である。また、部は九部で、一部長田中鉄五郎、二部長緑川静夫、三部長大久保益次郎、四部長佐藤清吉、五部長岡田寅吉、六部長渡辺吉太郎、七部長伊藤亀一郎、八部長猪瀬庄作、九部長桜岡初太郎であった。表彰を記念しての額が大田原神社拝殿に奉納されている。
翌十一年十一月七日には消防組頭会議が開かれ、「栃木県消防義会大田原支部規則(案)」を審議し、支部が結成された。規則は一三条からなっている(金田・第一一二)。
昔の消防団と消防車
同十四年(一九二五)三月二十一日、消防組頭会議が開かれ、「消防改善に関する意見」と題して、提案と研究協議が行われた。この時の各町村の組頭及び消防組の部数は次のとおりである。
大田原町 組頭瀬尾義弘 部数九部
金田村 組頭高橋弥吉 部数一八部
親園村 組頭渋江正 部数九部
佐久山町 組頭木下長吉 部数七部
野崎村 組頭渡辺喜一郎 部数八部
当時大田原町組頭瀬尾義弘は規律訓練を重視したので、出初式等での組員五五〇名の整然とした勇姿を見ようと、遠近の消防組が視察に来たということである。
城山二丁目一番一号(現 市営城山駐車場)の旧警察署前に、火の見櫓として望楼が建てられたのもこのころであった。
なお、消防組員の任免権は管轄区域の大田原警察署長にあったのである。