翌二十二年五月一日、勅令第一八五号をもって、「消防団令」が制定公布され、警防団は解消され、消防団が組織されたのである。
同年の旧町村の資料によると、七月に野崎村に自治消防団が組織された(野崎・第二四)。八月一日、「大田原町消防団設置条例」が施行された(大田原・第三一)。九月二十日、金田村警防団は解散し、新しく消防団が結成された(金田・第一一四)。
同二十三年一月、栃木県警防義会大田原支部が解散、消防協会大田原支部が発足したのである。
同年二月、警察制度の改革により、消防事務の一切が地方事務所に移管された。三月には自治体消防の発足に伴って、警察部長・警察署長の消防団に対する指揮監督権が、市町村長・消防長・消防署長に移されたのである。
同年七月、法律第一八六号により、「消防法」が制定された。八月には消防法に基づく「消防条例」、「危険物取締条例」が制定されたのである。
当時は、消防団の燃料は割当制で、那須地方事務所よりの通知で所定の配給所に引取りに行った。参考までに、同年十月分の各町村の燃料割当表を第1表にあげる(金田・第一一四)。
第1表 一〇月分各町村燃料割当表 |
町村名 | ガソリン (リットル) | モービル (リットル) |
大田原町 | 七四 | 二 |
親園村 | 三二 | ― |
野崎村 | 一四 | 一 |
佐久山町 | 二〇 | 一 |
金田村 | 四三 | 一 |
(昭和二三年那須地方事務所資料 金田・第一一四) |
同二十五年及び二十七年の旧町村当時の消防団員、人口、世帯数等についてみると第2表のようであった。
第2表 昭和二五 二七年消防団員・人口一覧 |
区分 | 年 | 大田原町 | 親園村 | 野崎村 | 佐久山町 | 金田村 | 合計 |
団員(人) | 二五 | 二九七 | 二八八 | 三六〇 | 二五五 | 五三五 | 一、七三五 |
二七 | 二三〇 | 二四三 | 三五四 | 二六二 | 五三九 | 一、六二八 | |
人口(人) | 二五 | 一六、一六三 | 五、四一七 | 六、〇二八 | 五、四一九 | 一三、二九四 | 四六、三二一 |
二七 | 一五、八六四 | 五、三一六 | 五、九六九 | 五、三四九 | 一三、五四八 | 四六、〇四六 | |
世帯数 | 二五 | 三、二七五 | 八一二 | 一、〇〇八 | 九〇一 | 二、一六三 | 八、一五九 |
(「大田原市消防本部沿革」) |
同二十八年二月、大田原町消防団常備部が新設され、同二十七年に配置された第二分団水槽付ポンプ車を配備、職員四名が採用・配置され、九月までに八名に増員された。望楼監視は各分団交代で、三月末まで実施されたのである。
同二十九年十二月一日、大田原町・金田村・親園村が合併して市制を施行、旧町村消防団は分団に、分団は部と改称、大田原を第一分団、親園を第二分団、金田を第三分団とし、三分団、三四部、一、〇九一名の大田原市消防団が発足した。
同年十二月三十一日、野崎村が分村し、川東地区が大田原市と合併、第四分団となった。
同三十年四月一日、西那須野町加治屋区が大田原市に合併、第一分団第一〇部に編入されたのである。
同三十四年四月十五日、市営球場においてこれら全団の結団式を挙行したのである。
さらに同年十一月五日、佐久山町が大田原市と合併、第五分団八か部となった。
都合して大田原市消防団はこの年から次のようになったわけである。
第一分団 大田原 常備部一 一〇部
第二分団 親園 八部
第三分団 金田 一七部
第四分団 野崎 五部
第五分団 佐久山 八部
計 五分団四八部 総員一、五〇六名
大田原町常備消防部
同三十二年四月一日、常備部を廃し、大田原市消防本部(消防署併置)が発足した。発足当時は大田原市城山二丁目一番一号(現 市営城山駐車場)が本部で、人員は消防司令以下一四名、ポンプ車二台(水槽付と普通)、消防長は市長が兼務したのである。
また、機構改革、人員整理等が行われ、五分団、四七部、総員八七一名の消防団となった。
同三十六年一月、消防専用無線電話装置を取りつけ、消防署を基地局とし、移動局二基を設け、連絡の的確、消防業務・災害活動の迅速をはかったのである。
同年、予防警防のため望楼に自記風速風向計が取付けられ、常時に温度・湿度・風速・風向等の観測をすることになった。
また同年、全団員に制服や帽子が支給された。
同三十八年、予備としたポンプ自動車を救急車兼用として救急業務をはじめたのである。
同三十九年九月八日、消防本部に救急車中古車が購入配置された。
同年、全団員にネクタイが備品として供与された。また、全市の主要個所に、防火貯水槽・専用井戸・消火栓が設置された。
同四十年、消防団機構改革完了、五分団二七部、団員五一八名となった。
同四十一年、大田原市消防庁舎新築、完成、移転する。所在地、大田原市城山二丁目一六番一号。
同四十二年、防災功労団体として、全国防災協会長より表彰された。
同四十三年、消防本部・消防団・優良消防団体として、消防庁長官、栃木県消防協会より表彰された。なお、県消防協会よりの表彰は四年連続である。
同四十五年、大田原市・塩原町・西那須野町・黒羽町・湯津上村の一市三町一村による「大田原地区広域消防組合」が設立された。広域消防組合消防本部は、大田原市消防本部が改組され、消防本部・消防署・消防長以下三九名の職員で発足したのである。
同四十六年、塩原町・西那須野町・黒羽町に消防分遣所を開設し、業務を始めたのである。
同四十九年、東北高速道路における救急業務を実施する(大田原地区広域消防本部資料)。
同四十九年、金田地区が二分団となる。
同五十年、大田原市消防団は、六分団二三部、総員四二八名となり、現在に至っているのである。