消防組規則(抄)
第一条 府県知事水火災警戒防禦ノ為メ必要ノ地ニ消防組ヲ設置スルトキハ此ノ規則ニ定ムル所ノ条規ニ依ルヘシ。
第二条 消防組ノ設置区域ハ市町村ノ区域ニ依ルヘシ。
第三条 消防組ハ組頭一人小頭若干人及消防手若干人ヲ以テ之ヲ組織ス。
(中略)
その後、栃木県においては同二十七年県令により、「消防組規則施行細則」を定め施行したのである。
消防組規則施行細則(抄)
第一条 消防組編成区域ハ別ニ県令ヲ以テ之ヲ定ム
(中略)
第三条 消防組ハ左ノ人員ヲ以テ組織ス
一、組頭 一人
一、小頭 消防手凡ソ十人ニ付一人
一、消防手 三十人乃至五百人。
数部ニ分ツトキハ小頭以下十人乃至五百人ヲ以テ一部トス
(以下略)
「大田原市消防本部沿革」によると、大田原町でも同二十七年に七部制の組織に改編されている。これらは、消防組規則や県令による消防組規則施行細則によるものであると考えられる。
同二十七年以前については、同二十二年の町制施行の年に消防組の機構が改正されている。当時の大田原町の消防組について、同二十二年、翌二十三年の「栃木県統計書 全」(小貫康夫所蔵)をみると、大田原の火防組として、組数・人員・器械等の記録がある。組数・人員等では、今日の消防団員に匹敵するほどで、同二十二年・翌二十三年にはともに組数は一〇組あり、人員は、同二十二年三七八人、同二十三年三七〇人であることが記されているのである。
栃木県令達類纂総目録(雑・第五)によると、同二十七年五月十日栃木県令第六三号をもって消防組織編成が定められた。大田原市関係の旧町村の消防組数及び部数を抜粋して次にあげる。
栃木県令第六三号 明治二十七年五月十日
消防組織編成ノ町村及ビ組数等左ノ通リ相定メ発布ノ日ヨリ施行ス
那須郡 町村名 組数 部数
大田原町 一 六
佐久山町 一 七
野崎村 一 八
親園村 一 八
金田村 一 二
同年に、栃木県令第七七号をもって「出火場取締規則」を定めている。条文は第一条から第四条よりなっている。
また、内務省訓令で「消防組点検規則」が定められ、これを受けて県では「消防組点検規則施行細則」を定めている。
大正十年(一九二一)になって消防の後援機関として「栃木県消防義会」が設立され、会則が定められた。
会則は第一章総則から第九章附則までとなっている。附則には「支部ハ支部規則ヲ設クベシ)の条文がある。また、消防義会細則も定められ、その第一条に「各警察官署長ハ支部長トシテ支部事務ヲ処理スルモノトス」等が定められ、消防組は警察の指揮・監督のもとにおかれていた(「栃木県警察史」)。
栃木県消防義会の趣旨に従って、翌十一年に大田原警察署管内の消防組頭会議が開かれ、討議の上、栃木県消防義会大田原支部が結成された。支部規則は第一条から第一四条よりなっている。支部長には大田原警察署長市村多黙がなったのである(金田・第一一二)。
同十二年に至り、「火防組合規約」が定められ、地区内に居住する者は全員組合員となることが義務づけられたのである。
消防組員の増員については、消防組規則・消防組規則施行細則によって、村長は県知事に対して申請を出し、認可を受けなければならないことが金田村消防関係綴(金田・第一一二)にあげられている。同じく同綴には、大正十五年一月二十三日、「消防義会の事業の一端として郡の連合点検を約隔年に、県の連合点検を約四年ごとに施行したい」旨の栃木県消防義会長よりの諮問が出されている。なお、同年には消防組員年齢制限規定施行に関する件の協議も行われている。
昭和八年には、金田村消防組通常点検及び内点検が実施されている。内点検は金丸原演習場と金田併置校校庭の二か所で行われ、通常点検は金丸原演習場で行われている。点検順序をみると、一、宮城に向かって遙拝、二、国際連盟脱退に関する認書の朗読等、一六項目からなっている。なお、この点検については、同年までは各部操法を採点して各部の成績をまとめて発表したものであった。点検については、消防組規則施行細則第五章点検が第二六条に定められている。同十二年度に実施された点検には、消防歌等も歌われている(金田・第一一一)。
大田原消防組奉納額(大田原神社)
消防点検(金田村)
消防点検における放水(金田村)
同十年当時の大田原町の消防組織が、「大田原市消防本部沿革」にあげられているので第3表にかかげる。
同十二年当時、大田原警察署管内の町村は、大田原町・金田村・親園村・佐久山町・西那須野町・狩野村・箒根村・塩原町の八か町村で、野崎村は矢板警察署管内に属し、消防義会矢板支部に入っていた。
同年には、水火災警報・打鐘信号等の全国統一が行われた。また、大田原警察署より各組頭に年齢制限改正の件の諮問が出されたのである。
同十三年に至り、消防組員年齢制限改正の通知が各町村組頭に発翰されている。
年齢制限については、第4表のとおりである。
こうして消防組の年齢の引き下げを行い、消防活動の円滑化を図っているのである。
同年にはまた、消防義会大田原支部から、家庭防火群組織に関する指示事項が出ている。それは、戦争により焼夷弾が投下された場合の火災の防止のためのものであった。
時局は次第に戦時体制が進み、消防団も「防空法」の施行、防空訓練の実施、防護団の組織等、防空業務の推進をすることになっていったのである。
第一条 府県知事水火災警戒防禦ノ為メ必要ノ地ニ消防組ヲ設置スルトキハ此ノ規則ニ定ムル所ノ条規ニ依ルヘシ。
第二条 消防組ノ設置区域ハ市町村ノ区域ニ依ルヘシ。
第三条 消防組ハ組頭一人小頭若干人及消防手若干人ヲ以テ之ヲ組織ス。
組頭及小頭ハ警察部長若クハ其ノ委任ヲ受ケタル警察署長之ヲ命免ス、消防手ハ警察署長之ヲ命免ス。
(中略)
第六条 消防組ハ府県知事ニ於テ指定シタル警察署長之ヲ指揮監督ス。消防組ハ警察官ノ指揮ニ従ヒ進退スヘシ(以下略)。
(「栃木県警察史」)
その後、栃木県においては同二十七年県令により、「消防組規則施行細則」を定め施行したのである。
消防組規則施行細則(抄)
第一条 消防組編成区域ハ別ニ県令ヲ以テ之ヲ定ム
(中略)
第三条 消防組ハ左ノ人員ヲ以テ組織ス
一、組頭 一人
一、小頭 消防手凡ソ十人ニ付一人
一、消防手 三十人乃至五百人。
数部ニ分ツトキハ小頭以下十人乃至五百人ヲ以テ一部トス
(以下略)
(「栃木県警察史」)
「大田原市消防本部沿革」によると、大田原町でも同二十七年に七部制の組織に改編されている。これらは、消防組規則や県令による消防組規則施行細則によるものであると考えられる。
同二十七年以前については、同二十二年の町制施行の年に消防組の機構が改正されている。当時の大田原町の消防組について、同二十二年、翌二十三年の「栃木県統計書 全」(小貫康夫所蔵)をみると、大田原の火防組として、組数・人員・器械等の記録がある。組数・人員等では、今日の消防団員に匹敵するほどで、同二十二年・翌二十三年にはともに組数は一〇組あり、人員は、同二十二年三七八人、同二十三年三七〇人であることが記されているのである。
栃木県令達類纂総目録(雑・第五)によると、同二十七年五月十日栃木県令第六三号をもって消防組織編成が定められた。大田原市関係の旧町村の消防組数及び部数を抜粋して次にあげる。
栃木県令第六三号 明治二十七年五月十日
消防組織編成ノ町村及ビ組数等左ノ通リ相定メ発布ノ日ヨリ施行ス
那須郡 町村名 組数 部数
大田原町 一 六
佐久山町 一 七
野崎村 一 八
親園村 一 八
金田村 一 二
(雑・第五)
同年に、栃木県令第七七号をもって「出火場取締規則」を定めている。条文は第一条から第四条よりなっている。
また、内務省訓令で「消防組点検規則」が定められ、これを受けて県では「消防組点検規則施行細則」を定めている。
大正十年(一九二一)になって消防の後援機関として「栃木県消防義会」が設立され、会則が定められた。
会則は第一章総則から第九章附則までとなっている。附則には「支部ハ支部規則ヲ設クベシ)の条文がある。また、消防義会細則も定められ、その第一条に「各警察官署長ハ支部長トシテ支部事務ヲ処理スルモノトス」等が定められ、消防組は警察の指揮・監督のもとにおかれていた(「栃木県警察史」)。
栃木県消防義会の趣旨に従って、翌十一年に大田原警察署管内の消防組頭会議が開かれ、討議の上、栃木県消防義会大田原支部が結成された。支部規則は第一条から第一四条よりなっている。支部長には大田原警察署長市村多黙がなったのである(金田・第一一二)。
同十二年に至り、「火防組合規約」が定められ、地区内に居住する者は全員組合員となることが義務づけられたのである。
消防組員の増員については、消防組規則・消防組規則施行細則によって、村長は県知事に対して申請を出し、認可を受けなければならないことが金田村消防関係綴(金田・第一一二)にあげられている。同じく同綴には、大正十五年一月二十三日、「消防義会の事業の一端として郡の連合点検を約隔年に、県の連合点検を約四年ごとに施行したい」旨の栃木県消防義会長よりの諮問が出されている。なお、同年には消防組員年齢制限規定施行に関する件の協議も行われている。
昭和八年には、金田村消防組通常点検及び内点検が実施されている。内点検は金丸原演習場と金田併置校校庭の二か所で行われ、通常点検は金丸原演習場で行われている。点検順序をみると、一、宮城に向かって遙拝、二、国際連盟脱退に関する認書の朗読等、一六項目からなっている。なお、この点検については、同年までは各部操法を採点して各部の成績をまとめて発表したものであった。点検については、消防組規則施行細則第五章点検が第二六条に定められている。同十二年度に実施された点検には、消防歌等も歌われている(金田・第一一一)。
大田原消防組奉納額(大田原神社)
消防点検(金田村)
消防点検における放水(金田村)
同十年当時の大田原町の消防組織が、「大田原市消防本部沿革」にあげられているので第3表にかかげる。
第3表 昭和一〇年当時の大田原町の消防組織 一、編成及び区域 |
部名 | 区域 | 区域内 | |
戸数 | 人口 | ||
第一部 | 大久保町・寺町 | 三八二 | 一、九一〇 |
第二部 | 上町・仲町 | 三二二 | 一、六一四 |
第三部 | 下町・新田・赤堀・浅野・西深川・上ノ原 | 四三〇 | 二、二四五 |
第四部 | 栄町・東深川・原町 | 三一一 | 一、四七〇 |
第五部 | 大手・根古屋・元町・清水町・新道・田中・山中・泉・七軒町・畑中・平林・刈切・小泉松並・富士山下 | 五一四 | 二、三六〇 |
第六部 | 荒町・紫塚・沼ノ袋 | 四一〇 | 二、一八〇 |
二、人員構成 |
区分 | 所在地 | 組頭 | 副組頭 | 機械監督 | 部長 | 小頭 | 消防手 | 計 | ||||||
機械手 | 喇叺手 | 旗手 | 信号手 | 伝令 | 水利係 | 消防手 | ||||||||
本部 | 一 | 一 | 一 | 二 | 五 | |||||||||
第一部 | 寺町 | 一 | 三 | 五 | 二 | 一 | 四 | 一 | 一 | 一三 | 三一 | |||
第二部 | 仲町 | 一 | 三 | 五 | 二 | 一 | 一 | 一 | 一三 | 二七 | ||||
第三部 | 下町 | 一 | 三 | 五 | 二 | 一 | 二 | ― | 一 | 一六 | 三一 | |||
第四部 | 栄町 | 一 | 三 | 五 | 二 | 一 | 四 | ― | 一 | 一四 | 三一 | |||
第五部 | 大手 | 一 | 三 | 五 | 二 | 一 | 四 | ― | 一 | 一五 | 三二 | |||
第六部 | 荒町 | 二 | 二 | 一二 | 一 | ― | 四 | ― | 一 | ― | 二二 | |||
計 | 一 | 一 | 一 | 七 | 一七 | 三七 | 一一 | 五 | 一八 | 四 | 六 | 七一 | 一七九 |
(「大田原市消防本部沿革」) |
同十二年当時、大田原警察署管内の町村は、大田原町・金田村・親園村・佐久山町・西那須野町・狩野村・箒根村・塩原町の八か町村で、野崎村は矢板警察署管内に属し、消防義会矢板支部に入っていた。
同年には、水火災警報・打鐘信号等の全国統一が行われた。また、大田原警察署より各組頭に年齢制限改正の件の諮問が出されたのである。
同十三年に至り、消防組員年齢制限改正の通知が各町村組頭に発翰されている。
消防組員年齢制限改正ニ関スル件
消防組規則施行細則第六条第二号組員年齢制限ハ昭和十三年二月四日付県令ヲ以テ改正セラレタルガ目下応召者モアリ補充困難ノ向モアルモノト認メラルルヲ以テ現職組員ニ付テハ向ウ二年間適宜在職セシムルモ支障ナキニ付取扱上遺憾ナキヲ期セラルヘシ
昭和十三年二月九日
大田原警察署長
町村組頭殿
消防組規則施行細則第六条第二号組員年齢制限ハ昭和十三年二月四日付県令ヲ以テ改正セラレタルガ目下応召者モアリ補充困難ノ向モアルモノト認メラルルヲ以テ現職組員ニ付テハ向ウ二年間適宜在職セシムルモ支障ナキニ付取扱上遺憾ナキヲ期セラルヘシ
昭和十三年二月九日
大田原警察署長
町村組頭殿
(金田・第一一一)
年齢制限については、第4表のとおりである。
第4表 消防組員年齢制限 |
区分 | 旧 | 新 |
階級 | ||
組頭 | 二〇歳以上~七〇歳未満 | 三〇歳以上~六〇歳未満 |
副組頭 | 二〇歳以上~六〇歳未満 | 三〇歳以上~六〇歳未満 |
部長 | 二〇歳以上~六〇歳未満 | 二五歳以上~五五歳未満 |
小頭 | 二〇歳以上~六〇歳未満 | 一八歳以上~五五歳未満 |
消防手 | 一八歳以上~五五歳未満 | 一八歳以上~五〇歳未満 |
(金田・第一一一) |
こうして消防組の年齢の引き下げを行い、消防活動の円滑化を図っているのである。
同年にはまた、消防義会大田原支部から、家庭防火群組織に関する指示事項が出ている。それは、戦争により焼夷弾が投下された場合の火災の防止のためのものであった。
時局は次第に戦時体制が進み、消防団も「防空法」の施行、防空訓練の実施、防護団の組織等、防空業務の推進をすることになっていったのである。