警防団令による消防組織

1429 ~ 1432
昭和十四年、勅令をもって「警防団令」が制定公布され、「消防組規則」は廃止された。これから、消防組は消防組と防護団とを統合し、防空業務を主体とする戦時体制下の警防団となるのである。警防団の活動及び任務については、団令に定められているが、活動範囲は軍の防衛業務に応じて、水火災の予防と鎮圧、天災地変等の災害警備、灯火管制・防空監視・交通整理・避難救護・警護・防毒・配給・工作等幅広いものになった。
 警防団の設置については、警防団施行細則によって、設置申請の書類を作成し、所轄の警察署を経由して知事に申請する。また、市町村議会の同意を得て、訓令によって告示され発足するのである。
 警防団の指揮監督権は所轄の警察署長が有し、市町村長には指揮権はなかったのである。
 「大田原市消防本部沿革」に記されているところによると、市町村長は防空業務に際して、警察署長と協議の上、指示ができる程度であったという。
 警防団の組織についてみると、第1図のようである。

第1図 大田原町警防団の組織
(「大田原市消防本部沿革」)

 同十六年の野崎村文書(野崎・第二七)によると、栃木県では極秘文書で「栃木県永年防空計画」と「昭和十六年度栃木県防空計画」とを定め、警防団の活動業務内容を明示している。このほか、県ではさらに「部外秘」として、「昭和十六年度栃木県基本防空訓練実施計画」を定め、警防主任者・警防団長・同副団長・分団長・部長・班長を対象とした訓練講話が行われた。大田原町では七二名がこの訓練講話を受講している。第5表にその内容をあげる。
第5表 課目時間
課目ハ概ネ等シキモ上級幹部ニ対シテハ指導運用ヲ主トシ、下級幹部ハ専門的識能ノ涵養、実施応用ニ重点ヲ置クモノトス
第一日第二日
時間科目講師時間科目講師
前八・〇〇訓示警察部長前八・〇〇家庭防空消防指導要領課員
〃九・〇〇〃九・〇〇
〃九・〇〇年度防空計画ト指導方針警防課長〃九・〇〇防空壕構築指導要領技術者
〃一〇・〇〇課員〃一〇・〇〇課員
〃一〇・〇〇警報伝達灯火管制〃一〇・〇〇防空建築
〃一一・〇〇〃一一・〇〇
〃一一・〇〇航空機ノ性能ト空襲判断軍部〃一一・〇〇現下ノ国際状勢ト国民防空ノ重要性ニ付テ軍部
〃一二・〇〇〃一二・〇〇
後一・〇〇防空消防課員後一・〇〇防毒衣装着毒瓦斯試臭技術者
〃二・〇〇〃二・〇〇課員
〃二・〇〇防毒救護技術者〃二・〇〇幹部実設図上教育軍部課員
〃三・三〇課員〃三・三〇
〃三・三〇防毒衣装着試臭ニ依ル毒瓦斯体験〃四・〇〇終了
〃五・〇〇
(野崎・第二七)

 各家庭においては、防火水槽やバケツ・砂・火たたき・防空壕等を備え付けさせ、有事に万全を期すという、臨戦の構えとなったのであった。
 ただ幸いなことには当地域は戦災をうけることも少なく、やがて、同二十年八月十五日、日本の敗戦となり戦争は終結したのである。