「栃木県史料八一」、「栃木県史附録大田原藩県史」、国立公文書館等に大田原の警察の前身にあたる関係記録があるので次に記す。
警保
管内人民保護ノ為常時大属二名[聴訟課ヨリ兼任]少属一名捕亡小頭一名[年奉二石六斗]捕亡十一名[同九石一名但シ十分]探索方二名同九斗ヲ置キ時々管内ヲ巡警ス
このことから、大田原にも明治七年以前に捕亡史・邏卒等が設置されていたものと推定できる。
同七年一月、内務省が設置されるに伴って各県庁内に警察掛が設けられた。
同年三月十五日、栃木県では、栃木・今市・大田原・真岡・宇都宮・小山・天明(佐野)・足利に警察の文字を冠して八警察掛出張所が開設された(「栃木県警察史」)。
大田原警察署(寺町)(「大那須野写真帳」)
このようにして、大田原警察掛出張所が設置され発足したのである。以下「大田原警察署沿革」および「栃木県警察史」によって主なる事項を記す(第30表)。
第30表 大田原警察署の沿革 |
年月日(西暦) | 主なる事項 |
明治七・三・一五(一八七四) | 大田原警察掛出張所設置された。 |
〃 八・八(一八七五) | 大田原警察掛出張所は大田原警察出張所と改称される。大田原宿上町準四〇九番地(場所不明)共有地に創設された。土地は大田原宿民、庁舎は郡内人民の寄付による。 |
〃 九・一二・二三(一八七六) | 大田原警察出張所が警察第三出張所となり、その管轄下に第一巡査屯所(大田原宿)、第二巡査屯所(芦野宿)、第三巡査屯所(烏山宿)を置いた。 |
〃 一〇・一・二六(一八七七) | 警察第三出張所が大田原警察署と改称された。 |
〃 一三・七・一(一八八〇) | 黒羽分署が開設された。 |
〃 一七・一・四(一八八四) | 郡内人民の寄付により、磯邸を模様替する。 |
〃 二二・五(一八八九) | 町村制実施による警察署管轄の変更が行われた。管轄下となった町村は、大田原町、親園村、野崎村、佐久山町、金田村、狩野村、西那須野村、上江川村、鍋掛村、東那須村、高林村の一一か町村、黒羽分署は川西分署と改称された。 |
〃 三一・六(一八九八) | 庁舎が腐朽し、所轄の二町九か村の寄付金四、一〇〇余円、土地五畝一三歩の寄付により、敷地を寺町四三六番地に変更(現市営城山駐車場)、地方費一、六七〇円の補助を得て、工費三千円で明治三二年五月上旬起工、同年一一月竣工。同年一二月新庁舎に移転した。敷地総面積三四八坪、本庁舎一棟、官舎一棟、会議室並物置一棟、人民控所一棟、官舎物置一棟。鉄柵一〇間七分。 |
明治三四・二・一(一九〇一) | 管轄分署の改廃により、大田原警察署芦野分署は廃止され、東那須野村大字黒磯に移転し、黒磯分署と改称した。東那須野村、高林村、鍋掛村の三か村は黒磯分署に編入された。 |
大正一一・六・三〇(一九二二) | 大田原警察署の各分署が廃止されて、それぞれ警察署となった。烏山分署が烏山警察署となった。 |
〃 一五・四・一(一九二六) | 黒磯分署が黒磯警察署となった。 |
〃 一五・七・一(一九二六) | 川西分署が川西警察署となった。 |
昭和二・五・三(一九二七) | 管轄区域の変更があり、大田原警察署管轄は、大田原町、親園村、佐久山町、狩野村、西那須野村、金田村(以上那須郡)、塩原町、箒根村(以上塩谷郡)となった。野崎村は矢板警察署管轄、上江川村は喜連川警察署管轄となった。また、大田原警察署管内の巡査部長派出所、巡査駐在所の管轄区域や名称の変更等も行われた。 |
〃 二三・一・二九(一九四八) | 警察署名及び管轄区域の改正があり、二月一〇日から実施された。同年、自治体警察の発足により、国家警察署と自治体警察署ができた。大田原警察署は、国家地方警察大田原地区警察署と改称された。自治体警察署は、大田原町警察署、佐久山町警察署、西那須野町警察署、塩原町警察署が発足した。 |
〃 二六・一〇・一(一九五一) | 佐久山町、塩原町、西那須野町の各自治体警察署は廃止され、国家地方警察大田原地区警察署の管轄となった。管轄区域の変更があり、野崎村、箒根村は大田原地区警察署の管轄となった。 |
〃 二七・四・一(一九五二) | 大田原町警察署が廃止され、大田原町は大田原地区警察署管轄となった。 |
〃 二九・七・一(一九五四) | 新警察制度のもとに、栃木県大田原警察署となった。 |
昭和二九・一二・三一(一九五四) | 野崎村が分村し、うち大字沢、豊田、成田は矢板町に合併、矢板警察署管轄となった。 |
〃 四三・四・二二(一九六八) | 大田原市紫塚二七二二番地の水田五、六五三・八二平方メートルを買収し、大田原警察署敷地に決定した。 |
〃 四五・四・二三(一九七〇) | 新庁舎建築落成し、現在に至っている。 |