明治・大正期の警察任務は、刑事警察のほかに保安・防犯警察としての違警罪、今日でもみられる風俗営業取締り、衛生警察活動として伝染病の防疫活動、交通警察としての交通取締り、消防活動としてのその指揮監督、治安警察として社会運動の取締り等と警察の任務は広範囲に及ぶものであったのである。
こうした職務遂行のために、大田原警察署内にも殉職された探偵吏・巡査がいる。
大田原警察署 探偵吏 松本忠直
松本探偵吏は大田原町に生まれ、明治十三年(一八八〇)二月、大田原警察署の臨時探偵吏となった。同十五年(一八八二)八月、窃盗犯捜査のため単身那須村湯本に向け出発、途中現那須町広谷地の山道の路傍の一軒家で、十数名が賭博に打ち興じているのを現認、うち一名をその場で逮捕し、連行中博徒の襲撃にあい殉職した。公務遂行のために一身を顧みず、旺盛な責任感と使命感をたたえて、大田原神社境内に殉職碑が建てられている。
なお、松本探偵吏は栃木県警察創設以来の最初の殉職者であったのである。
大田原警察署 巡査 堀江治
堀江巡査は烏山町に生まれ、邏卒と称していたころから大田原警察署に勤務していた。明治十八年(一八八五)九月、那須疏水工事が竣工し、北白川宮殿下の御臨席を仰ぎ、東那須野村大字東小屋(現 黒磯市東那須野)で開通式が挙行されるための警備の任にあたった。たまたま金田村大字中田原地内で、三人の強盗犯人と思われる賊の凶刃により殉職したのである。
大田原警察署黒羽分署 巡査 山地勝
山地巡査は香川県出身で、明治十六年(一八八三)五月栃木県巡査となり、黒羽分署勤務となった。同二十年(一八八七)、川西町に腸チフスが発生して患者が続出した。山地巡査は命を受けて腸チフスの防疫活動に従事したが、自分も感染し、治療のかいなく、同年十月殉職したのである。町民は信頼厚い山地巡査の死を悲しみ、川西町常念寺境内に碑をたてて感謝の意を表したのである。
松本探偵吏は大田原町に生まれ、明治十三年(一八八〇)二月、大田原警察署の臨時探偵吏となった。同十五年(一八八二)八月、窃盗犯捜査のため単身那須村湯本に向け出発、途中現那須町広谷地の山道の路傍の一軒家で、十数名が賭博に打ち興じているのを現認、うち一名をその場で逮捕し、連行中博徒の襲撃にあい殉職した。公務遂行のために一身を顧みず、旺盛な責任感と使命感をたたえて、大田原神社境内に殉職碑が建てられている。
なお、松本探偵吏は栃木県警察創設以来の最初の殉職者であったのである。
大田原警察署 巡査 堀江治
堀江巡査は烏山町に生まれ、邏卒と称していたころから大田原警察署に勤務していた。明治十八年(一八八五)九月、那須疏水工事が竣工し、北白川宮殿下の御臨席を仰ぎ、東那須野村大字東小屋(現 黒磯市東那須野)で開通式が挙行されるための警備の任にあたった。たまたま金田村大字中田原地内で、三人の強盗犯人と思われる賊の凶刃により殉職したのである。
大田原警察署黒羽分署 巡査 山地勝
山地巡査は香川県出身で、明治十六年(一八八三)五月栃木県巡査となり、黒羽分署勤務となった。同二十年(一八八七)、川西町に腸チフスが発生して患者が続出した。山地巡査は命を受けて腸チフスの防疫活動に従事したが、自分も感染し、治療のかいなく、同年十月殉職したのである。町民は信頼厚い山地巡査の死を悲しみ、川西町常念寺境内に碑をたてて感謝の意を表したのである。
時代の推移により、警察制度も変遷し、それに伴って警察活動も変わってきた。第二次大戦前行われていた防疫・医療・保健等の衛生行政全般を主管する衛生警察の分野としての防疫活動や、警察行政の重要な役割を占めた消防組織と運営についても、大戦時には警察の指揮監督下からはなれるなどしたが、終戦を期して大きな変革がみられたのである。
つぎに、明治二十二年(一八八九)、同二十三年の大田原警察署および大田原町の盗難件数やその被害額種別、昭和三十年より同四十七年に至る五年ごとの大田原市における犯罪数、交通事故発生件数、および同四十七年の市内地区別交通事故発生状況等を、「栃木県統計書」、「大田原市市勢要覧」等により作成したものを次に記す。
時代と共に社会状勢は変化し、犯罪数は年々増加している。また、戦後は交通機関等の著しい発達に伴って、交通事故も急激に増え、交通戦争という言葉が生まれるほどになってきているのである(第40表)。
第40表 市内地区別交通事故発生状況等 一、盗難ニ罹リシ家屋船舶及人員 |
署名 | 明治年次 | 強盗ニ遭イシ家 | 窃盗ニ遭イシ家 | 強窃盗ニ遭イシ家 | 追剥ニ遭イシ人 | 掏模拐帯誆騙等ニ遭イシ人 | ||||
総数 | 男 | 女 | 総数 | 男 | 女 | |||||
大田原警察署 | 二二 | 二三 | 五五一 | 三 | 三 | 〇 | 四一 | 三八 | 三 | |
二三 | 二四 | 七八〇 | 一 | 六 | 六 | 〇 | 四五 | 四二 | 三 | |
再掲 大田原町 | 二二 | 三三 | ||||||||
二三 | 二 | 三三 | 一 | 一 |
(「栃木県統計書」) |
二、盗難ニ罹リシ財産ノ価格 |
署名 | 明治年次 | 総数 | 貨幣 | 穀類 |
円 銭厘 | 円 銭厘 | 円 銭厘 | ||
大田原警察署 | 二二 | 三、三七七、二三四 | 一、二八四、六三四 | 二〇二、六四一 |
二三 | 三、四〇四、一一四 | 一、二七三、一八四 | 五七八、五九七 | |
再掲 大田原町 | 二二 | 二四八、〇四九 | 一二三、三五三 | ― |
二三 | 三五三、六七七 | 一六二、一七〇 | 二五、四六五 |
署名 | 明治年次 | 衣類 | 家畜 | 雑品 |
円 銭厘 | 円 銭厘 | 円 銭厘 | ||
大田原警察署 | 二二 | 一、一一八、九七三 | 三九、〇〇〇 | 七三一、九八六 |
二三 | 六五一、三九六 | 五〇、〇〇〇 | 六五〇、九三七 | |
再掲 大田原町 | 二二 | 七八、八四一 | ― | 四五、八五五 |
二三 | 一一一、四三二 | ― | 五四、六一〇 |
(「栃木県統計書」) |
三、昭和三〇~四七年の大田原市における犯罪数 |
(経済犯罪は三〇年のみ) |
昭和年次 | 区分 | 兇悪犯 | 粗暴犯 | 窃盗犯 | 智能犯 | その他 | 経済犯罪 | ||||||
殺人 | 強盗 | 強姦 | 放火 | 暴行 | 傷害 | 恐喝 | 詐欺 | 横領 | 食糧管理法 | ||||
三〇年 | 件数 | 四 | 一六 | 三五 | 一三 | 八四 | 四五 | 二〇 | 七三 | 四六 | |||
人員 | 六 | 一八 | 四二 | 一六 | 八七 | 四七 | 二一 | 一七六 | 三六 | ||||
三五年 | 件数 | 四 | 八 | 三八 | 七 | 二四四 | 三一 | 一〇 | 四〇 | ||||
人員 | 一 | 四 | 八 | 三八 | 七 | 二一〇 | 三一 | 一〇 | 三九 | ||||
四〇年 | 件数 | 一 | 一〇 | 一八 | 四七 | 四 | 七六九 | 四〇 | 一一 | 一七五 | |||
人員 | 一 | 九 | 一七 | 四六 | 四 | 四三六 | 四〇 | 一〇 | 一七四 | ||||
四五年 | 件数 | 二 | 六 | 二四 | 六 | 六九八 | 二二 | 五 | 二五 | ||||
人員 | 二 | 五 | 二四 | 四 | 四五〇 | 一〇 | 六 | 三三 | |||||
四七年 | 件数 | 三 | 三 | 八 | 二三 | 一四 | 四七二 | 二二 | 一 | 二八 | |||
人員 | 三 | 三 | 七 | 二〇 | 一三 | 二四一 | 一一 | 一 | 一八 |
(「市勢要覧 大田原」、「市勢要覧 おおたわら」) |
四、交通事故発生件数 |
区別 | 昭和年次 | 総数 | 乗合自動車 | 乗用車 | 貨物車 | その他の自動車 | 軽自動車 | 原動機付自転車 | 自転車 | その他 | ||||
特殊 | 普通 | 小型 | 大型 | 普通 | 小型 | |||||||||
大田原市 | 三〇年 | 五〇 | 一 | 九 | 三〇 | 六 | 四 | |||||||
三五年 | 九四 | 一 | 四 | 九 | 三四 | 二六 | 一九 | 一 | ||||||
四〇年 | 一八六 | 一 | 三三 | 二〇 | 五八 | 一 | 三五 | 三八 | ||||||
四五年 | 二六七 | 一三二 | 六五 | 二一 | 一七 | 二八 | 三 | 一 | ||||||
四七年 | 三五八 | 一七二 | 九七 | 三三 | 三六 | 一五 | 五 |
(「市勢要覧 大田原」、「市勢要覧 おおたわら」) |
五、地区別交通事故発生状況 |
地区 | 大田原 | 金田 | 親園 | 野崎 | 佐久山 | 合計 |
昭和四七年一月~一二月 | 一八七 | 八七 | 一六 | 五七 | 一一 | 三五八 |
(「市勢要覧 おおたわら」) |