那須仏教慈恩会

1504 ~ 1506
犯罪者の更生を助ける制度は、法的には明治十四年(一八八一)の「改正監獄則」によって、刑期満限の者で頼るところのない者を別房に留置して、生業の道を営ませていた。しかし、その費用は地方費負担になっていたため、負担増加し、同二十二年(一八八九)廃止されて、彼等の保護は民間有志の慈善に頼ることとなり、明治末期から大正二年(一九一三)ごろまでに県下に八か所の保護事業団体が設立されていたのである。
 大田原に本部をおく「那須仏教慈恩会」がそれである。その概要は次のとおりである。
 
   ○那須仏教慈恩会
  大正二年五月十日創立
  事務所 大田原町 正法寺内
  組織  会長   一 (郡長)
      常任理事 六
      会計   一
      理事  二九
(大田原・第二九)

 沿革については、大正二年(一九一三)五月天皇御即位記念として、会長に郡長柴田四郎を選出して発足したのである。代表者に中井本儀(正法寺住職)が任じられ、郡内仏教寺院を会員として、免囚保護事業及び貧民救護事業を行ったのである。
 その具体的内容については、資料不足で詳かでないが、発足当時で間接保護者と一時保護者三五名程の釈放者が指導を受け、運営費用は主に寄付金・補助金でまかなっていたのである。昭和九年の経費一、一二〇円のうち、寄付金六四〇円、補助金三〇〇円であった。
 昭和十四年「司法保護事業法」の制定に伴い、受刑者は国家の指導監督下におかれることになり、創立以来二十余年の社会的機能と事業を司法保護委員会に引き継ぎ解散したのである。