大田原授産所

1515 ~ 1516
授産事業は、生活困窮者や身障者等に対して、経済的独立と勤労意欲の向上を図り、自立を助けようとしたものである。
 江戸時代には無宿者や受刑者・極貧者を収容して、保護救済すると共に各種技能を習得させていた。明治以降においては、共同作業によって生産活動を行うようになり、以来第二次大戦後も引続いていたのである。
 昭和二十二年「職安法」が施行され、授産所は、救済施設から教育的機関に変革し、厚生省所管の救助保護施設と、労働省管轄の労働保護事業とに分離されたのである。
 同二十三年、厚生省調査によると、本市域における授産所は第4表のとおりである。
第4表 授産所
名称所在組織及代表事業の概要摘要
大田原授産所大田原町一九八〇益子万吉
(同胞援護会大田原分会)
マニラ麻・絹撚糸の輸出向加工昭和十九年六月設立
収容人員 七名昭和二十一年七月 第二授産所設立
機械   七台
建物   二一坪昭和二十三年十一月 大田原授産所と改称
(「栃木県社会事業史」)