江戸時代には無宿者や受刑者・極貧者を収容して、保護救済すると共に各種技能を習得させていた。明治以降においては、共同作業によって生産活動を行うようになり、以来第二次大戦後も引続いていたのである。
昭和二十二年「職安法」が施行され、授産所は、救済施設から教育的機関に変革し、厚生省所管の救助保護施設と、労働省管轄の労働保護事業とに分離されたのである。
同二十三年、厚生省調査によると、本市域における授産所は第4表のとおりである。
第4表 授産所 |
名称 | 所在 | 組織及代表 | 事業の概要 | 摘要 |
大田原授産所 | 大田原町一九八〇 | 益子万吉 (同胞援護会大田原分会) | マニラ麻・絹撚糸の輸出向加工 | 昭和十九年六月設立 |
収容人員 七名 | 昭和二十一年七月 第二授産所設立 | |||
機械 七台 | ||||
建物 二一坪 | 昭和二十三年十一月 大田原授産所と改称 |
(「栃木県社会事業史」) |