厠設立の願

1523 ~ 1525
明治八年(一八七五)八月三日付けで大田原宿戸長副戸長の連名で「厠ヲ設クルノ願」を栃木県令鍋島幹に提出したのである。
 願書によれば、道路を清浄に保つためには公衆便所を設置して乱尿をふせぐことであると協議した結果、県へ願い出ているのである。
 設置場所として一一か所、下町・中町・上町・寺町・大久保町・荒町等の場所を指定しているところを見ると、その中には現在も設置されている所もあり、これらと関わりがあるものと推察されるのである。
 明治初期にあって、公衆便所の設立を叫んだ住民の衛生思想の高さに敬服する次第である。厠設立の願書は次のとおりである。
 
 区内大田原宿街上ニ厠ヲ設クルノ願
一、厠     十一ケ所
夫レ人民ノ健康ヲ害スル者ハ道路ノ不浄ナル稠密之地ニ於テハ最モ甚シトス今 官行政警察ノ官ヲ置キ道路清浄ニシ淤物ヲ去ルニ注意セラル先ツ道路ヲ清浄ニスル厠ヲ設ケテ以其乱尿ヲ制スルニ有リ依テ  設厠ノ策ヲ有志ノ徒ニ解キ以テ議協ヘ事決ス其地所ノ如キ別紙ニ書シ以テ呈ス
官熟議ヲ垂レ幸ニ許可アラン事ヲ懇願ス頓首謹言
  明治八年第八月二十七日
                                  第三大区七小区
                                   副戸長
                                    阿久津頼安
                                   同
                                    太田義明
                                   同
                                     飯村武
                                   戸長
                                     阿久津修斉
栃木県令 鍋島幹殿

(阿久津モト文書)


公衆便所設立願書(阿久津モト氏蔵)

 別紙には、それらの厠の位置が示されている。