日本医療団は、国民強兵の国是に従って、結核患者を収容する「日本医療団大田原奨健寮」を同十九年九月に開設し、患者の治療に当っていたが、第二次大戦の終戦により、この施設を国営移管に働きかけたが、これは認められず、同二十二年八月「大田原地方病院」として再発足したのである。
同二十四年、医療団が解散したことにより、日本赤十字社がこれを買収し、同二十四年七月一日、大田原赤十字病院として開設し、現在に至っているのである。初代病院長管能庸一、現在四代目である。
開設当時は第15表に示すとおり、病床数五〇床、職員数二四名で発足したが、現在では、栃木県北唯一の公的医療機関としての指導的位置にある。この間の発展途上においては、諸種の困難な場面に遭遇してきた。同三十四年の医師会の抗議等は顕著なものである。しかし、地方公共団体及び地域住民の協力によって、これを乗り越えて現在に至っている。
第15表 病床数及び患者数 |
許可病床数 | 常勤職員数 | 1日平均入院患者数 | 1日平均外来患者数 | |
昭和25年 | 50 | 24 | 32 | 43 |
30 | 133 | 48 | 91 | 69 |
35 | 193 | 87 | 137 | 113 |
40 | 265 | 143 | 212 | 188 |
45 | 245 | 179 | 210 | 247 |
47 | 300 | 207 | 245 | 281 |
52 | 350 | 296 | 276 | 417 |
53 | 350 | 307 | 273 | 441 |
(日赤大田原資料) |
日赤大田原病院