大田原市史の編さん事業は、市制二〇周年記念事業の一環として「大田原市史前編」を発刊しました。前編は原始・古代・中世から近世にいたる大田原の変遷を系統的にまとめたもので、企画以来多くの先輩たちが苦難の道を歩んで昭和五十年に発刊したのであります。
今回、後編を発刊することができました。まず、関係者の皆様のおかげと心から感謝しております。
大田原市では、前編発刊を機会に明治以降現代までの後編をまとめることが市のとるべき責務であり、大田原市の近・現代の歴史的発展を系統的にまとめることによって、本市行政の基礎資料とするとともに、学術、文化の振興に寄与し、併せて愛市精神の高揚に資そうというものであります。
この方針に基づいて、昭和五十一年四月、さっそく作業にかかり、市史編さんの整備に着手、同年九月には市史編さん委員一三名(後一名増員)を委嘱、同時に「編さん事業の目的」、「編さん計画」、「委員会会則」及び「編さん要領」等を作成、施行のはこびとなったのであります。
市史編さん委員会は同月十日、第一回の会議で基本計画、専門委員と調査員の人選を決定しました。特に専門委員と調査員については、大田原の歴史的重要な位置を、日本歴史の流れの中で明らかにする必要があるとの観点から、郷土大田原の歴史は地元大田原在住の郷土史に精通した研究家に執筆を委嘱するという方針を決め、この方針に沿って十月十九日専門委員二名(後一名増員)、調査員八名を委嘱し、専門委員も調査員も史・資料の調査、執筆を行うものであると決定したのであります。
同年十一月二十六日専門委員及び調査員会を開き、月一回の定例会を開くことを決め、以来、委員会の基本計画を受けて、後編の内容・目次・史・資料の調査、収集方法およびスケジュール等について方針を検討したのであります。一方、市教育委員会所蔵の文書を整理し、仮年表の作成、さらに必要な史・資料を市内外に求める方法をとったのであります。五十二年五月には専門委員一名を委嘱、八月には市内の小・中生を対象とした「郷土史相談室」(以来五十五年まで)を開設、五十二年度には「後編仮年表」および前編補足に資すため「徳川実紀にみる大田原・福原・那須家」を発刊したのであります。五十三年度には後編「目次」と「編」担当者を決定、五十四年四月一日から「広報大田原」に「市史だより」を連載し、市史編さん内容の紹介と広く市民の皆さんに史・資料と情報提供の呼びかけを行ったのであります。これに加え後編「章」執筆担当者が決められ、併せて市内に所在する「記念碑」の調査が進められました。
五十五年度の編さん委員会においては、「市史執筆完了」を五十六年度とし「五十七年度市史配本予定」、調査員の身分を非常勤専門委員に名称を変える等のほか、監修者に渡辺龍瑞氏(五十六年就任)が推挙されたのであります。一方、専門委員会は月二回開かれるようになり、史・資料の収集等も貴重なものが集められ成果は一段と高められていきました。年度後半から執筆要領についての会議が重ねられ、いよいよ執筆に入ったのであります。
この間、不足がちな史・資料収集については、関係機関、その他所蔵者の方々に、調査の利便や史・資料の提供など理解あるご協力とご援助を受けました。厚くお礼を申し上げます。
県史編さん委員会参与、県文化財保護審議委員渡辺龍瑞先生には膨大な量の後編原稿のご監修をわずらわせたのを始め、本巻発刊にあたり、温かいご指導をいただきました。
執筆を担当されました方々には、多忙な本業のかたわら余暇を割いて原稿を仕上げていただきました。紙数や執筆の期間制限もあって十分意を尽くせずじまいになったことと思いますが、ぜひ、ご容赦くださるようお願い申し上げます。専門委員藤田貞二郎先生には、健康上の理由で執筆を断念せざるをえなかったわけですが、ご本人はもとよりかえすがえすも残念でなりません。
「大田原市史後編」の編さん事業は、昭和五十一年九月から開始され、以後、六年の歳月を費やし完成にこぎつけました。ここに、通史編、後編近・現代が一応の完結をみたわけであります。編さん事業の発足以来発刊に至るまで、ご協力いただきました関係各位に深甚なる感謝の意を表する次第であります。また、末尾ではありますが、ご理解あるご協力をいただきました市民各位に対して、心から厚くお礼申し上げます。
昭和五十七年三月三十一日
大田原市史編さん委員会事務局
大田原市教育委員会文化係長
大田原市史編さん委員会専門委員 益子孝治