例言

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1.本書は栃木県大田原市教育委員会が昭和32年度実施した大田原市北金丸地内湯坂遺跡の発掘調査報告書である。
2.湯坂遺跡の発掘調査は地元湯坂地区の要請(新江元吉・新江丈夫・小泉喜義氏ら)をうけて,大田原市教育委員会が湯坂地区の全面的協力の下に実施した学術発掘である。
3.調査期間 昭和32年10月3日~10月10日
4.本調査の調査組織は次の通りである。
 (事務局)
 大田原市長 益子万吉(故)  大田原市議会議長 加藤金松(故)
                    同副議長 磯金一(故)
 大田原市教育委員長 池田仙之亟(故)
 大田原市教育委員会教育長 関谷正(故)
 同社会教育課長 飯島博(現市議会議員)
 土木課技師(担当) 益子孝治(現市教委社会教育課文化係長)

 (調査団)
 調査担当 渡辺龍瑞(日本考古学協会員)
 調査協力 辰巳四郎(宇都宮大学助教授)
 塙静夫(作新学院教諭)  佐藤東雄(大田原高校教諭)
 調査補助 澤四郎(国学院大学4年)  栗原文蔵(同3年)  阿久津友男(宇都宮大学3年)  石崎晴道(同)  海老原郁雄(同)  近藤直子(同)  坂本彬(同)  福田豊子(同)  藤田順子(同)  梁島伸元(同) 湯坂地区青年団有志

5.本書の作成にあたったのは次の通りである。
 (事務局)
 大田原市教育委員会教育長 増渕五郎
 同社会教育課長 西崎英一
 同文化係長 益子孝治
 同主査 竹中千枝

 (作成担当)
 海老原郁雄  川原由典  八巻一夫  初山孝行  木村等  芹沢清八  桜岡正信  田代隆
 本文執筆と写真は海老原が,図版の作成及び編集は川原が他の5名の協力を得て行なった。石器の実測は田代隆が行なった。なお,第Ⅰ部の2.地形及び那須野が原の地形・地質の項は提橋昇氏の寄稿を,大田原市湯坂遺跡調査メモの項は渡辺龍瑞氏の稿を「史友8号」より転載した。
6.本書の作成にあたっては,日本窯業史研究所と大川清氏,小山市史編さん室福田定信氏に,高尾神遺跡及び小山市不動原南遺跡について資料提供と御教示をいただいた。また,発掘調査時の記録写真は大田原市教委保管アルバム及び栗原文蔵(埼玉県教委文化財保護課)氏から御提供をいただいた。また,国学院大学助教授小林達雄氏には昭和54年3月来県の折に資料の実見を願うと共にいろいろと御教示をいただいた。