① 層順と遺物包含層

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 遺跡の範囲部分はほとんど山林で,開墾等に伴う地層の攪乱がないため層順は自然的堆積の原状を保っているものと考えられ,遺物・遺構の遺存度もきわめて良好である。地層は5層に細分され,その層厚は下表のような状況であるが,明視できるのは上から黒色土,黒褐色土,漸移層を経て褐色のローム層の三大別で第2次発掘の観察と対照して示す。遺物が主体的に包含されているのは第3層下半部で,第4層上半部にも及んでいる。このことは第2次調査における「遺物包含層は第2層黒褐色腐蝕土層の下半部から第3層褐色混ローム土層の上部にかけて,厚さ15cm±である」(田代)とする結果と合致しており,土層の色調が上部から下部へ黒色から褐色に漸移し山林における一般的な土壌形成の在り方を示しているものと判断される。この部位における遺物は阿玉台式と加曽利EⅠ式であるが,両形式を上下に区分する所見は得られず,〝混在〟に近い状況であった。ただ,T1-Ⅱ区の3層から堀之内Ⅱ式の破片が出土し,下位の遺物と明確に分離できたので,縄文後期以降の攪乱はないものと判断された(当時)のであった。
層位対照表
(単位cm)
第1次調査(渡辺・澤)第2次調査(海老原・田代)
層順名称T1―Ⅴ区T2層順名称各区
第1層表土層15~2020A0黒色腐色土層
第2層黒色土層18~202040~45
第3層黒褐色土層20~2515A1黒褐色腐蝕土層20~25
第4層褐色土層18~20
第5層疑似ローム10~15B1混ローム土層15前後
第6層ローム層L田原ローム

 遺構のプラン確認は,遺物の密集する第3層を除去した下の第4層褐色土中からである。市道の路面から見つかった第1号住居址はローム層に掘り込まれていた遺構の下半部だけが検出されたものだが,緩傾斜面のT2拡張区でローム面に焼土部分があったことからプランは明確にし得なかったが住居址と判断された第2号住居址や後述する土壙の開口面が第4層ないし第5層から堀り込まれている様子などをつき合せると,「表土から第3層黒褐色土層下半に当る50数cmから第4層褐色上層上半の70数cmに至る約20cmが最も濃密な遺物包含層で,ここいらが当時の生活地表だったと見られ」(渡辺)る部分以下に遺構が存在しており,遺構の浅深は遺跡の地形的な位置にも影響されているようである。