湯坂遺跡は既述のように北東から西南方向に延びる白旗丘陵の尖端部寄り平担部の西縁に立地しているが,この台地の裾から台状部へ北へ市道が通っており,それは遺跡範囲を分断貫通しているものと考えられる(第5図)。調査地域はこの市道の西側部分,つまり台地の西縁及びそれに近い平担部である。第1トレンチは急傾斜の縁辺部にほぼ接する部位に,第2トレンチはそこから10mほど離れた南側に緩傾斜する部位に,第3トレンチは市道に沿った平担部に,同じ面で,路面で見つかった第1トレンチに近い,切通しの断面に黒土の落込みが見られる部分に近いところに第4トレンチを設定したのであった。地番では,第1・3・4トレンチが大田原市北金丸2181番地,第2トレンチが同2180番地にある。なお,第2次調査のグリッドは前者の第1トレンチの内側寄りの部分に設置したのであった。
5図 大田原市金丸地内と湯坂遺跡
以来20年余,当時の稚拙な野帳と卒論に挿入した〈湯坂遺跡発堀調査概況〉をつき合わせて風化した記憶をたどりつつ調査の概況を記してみようと思う。