ローム上面に不整円形の開口部(口径73×95cm・深さ250cm以上(渡辺扱では深さ2.8mで最大径2.53m)。開口部は大きな木株を除去した下から現われ,あたかもそれで蓋された状態になっていた。内部の充填土はほぼ同質の混土ロームで軟い。この土壙はローム上面から深さ130cmほどのところから横に広がって袋状を呈し,ここから以下の部分にほぼ完形の個体を含む多数の土器個体や大破片等が累積して入っていた。これらの中には,137・121・140,があった。更に,ローム面から約170cmの部分に20片ほどの土器片があり,これをとり除くと炭化物を多量に含む焼土のブロックがあった。その下位部分でローム面から約190cmほどのところからは125が垂直に倒立した状態で存在しており,この部分を充填する土=混土ローム質の土壌は軟かで細い炭化物を含んでいた。壙底は軟かで,棒状の礫が1個のっていた。〈その内部には開口部まで土器が充填されており,小形棒状石器石皿・敲石など人工遺物に混り,クルミ・シバグリなどの実やナラ・シノなどの炭化物そのほかの自然遺物も発見した〉。(栃木県資料編・考古1 渡辺)
サンプルとして採取してある焼土を観察すると,壁の剥落土であるロームと混在した状態にある。焼土中の炭化物は細小の枝状断片から鉛筆大の太さのものまで雑多で,剥落土の塊土に篠竹の貫通した穴が認められるものもあった。
出土した遺物のうち土器片が平箱(42×58cm)で12,器形の概形を復元できる個体が27個,その他若干の磨石を含む礫がある。これら出土状態は土壙内に累積した状況にあり,下位部分で出土した個体が倒立しているなどの状況から見ると,〝埋納〟ではなく〝投棄〟によるものと理解した方が自然で,更に破片がかなり火熱をうけ器壁が傷んでいるものが目立ち,投棄以前に既に破損品であった可能性が高い。従って,炭化物を含む焼土は土壙内での焚火によるものではなく,土器片と共に投棄されたものと考えられ,その意味で土壙内の遺物を上・下に区分する人為的な鍵層とはなり得ないものと考えられる。