この調査で特筆されるのは,各調査区でそれぞれ土壙が見つかっていることで都合8基ある。これらはローム面または漸移層で開口部が確認され,袋状の形状を呈する点で相似している。その概要を対照してみると下表のようになる。このうちNo.1からNo.4は台地縁辺に接する位置に点在し,No.5からNo.8は台地平担面の緩斜面よりの部分にある。第2次調査ではT
1の東側部分を坪掘りして2基の土壙が出ている。遺跡範囲が不明確なので,これだけの資料では平面位置について推論するのは困難であるが,台地の中央平担部をとりまく縁辺部にこの種の土壙が点在していた事実は注意したい点である。次に,土壙の開口部に焼土が懸っていたり(No.2,No.4),その近くに焼土ブロックがあったり(T
1-Ⅲ・Ⅳ,T
1-Ⅵ,第2号住居址)するのも注意される。阿玉台期の住居址には屋内石囲炉を伴わない可能性があるので,これらの焼土は屋外の地床炉や焚火跡などの場合もあり得るものの,土壙が食糧等の貯蔵穴であり後述するような廃絶に伴う終末相をもつものであるとすれば,焼土と土壙とを関連づける積極的な証拠はない。両者が偶発的な重複または近接位置にあるのであれば,土壙と〝焼土〟の遺跡空間における位置選択に条件的な相似が存在することもあり得るわけである。
番号 | 形状 | 位置 | 開口部径 | 深さ | 底径 | 出土遺物 |
No.1 | 袋状 | T1―Ⅱ区 | 120~130 | 85 | 150×155 | なし |
No.2 | 袋状 | T1―Ⅴ区 | 73×95 | 250余 | ― | 土器多数・石器 |
No.3 | 袋状 | T2―B南端 | 約190 | 約100 | ― | なし |
No.4 | 円筒? | T2―B北端 | 50×50 | 約100 | ― | ? |
No.5 | 袋状 | T3 | 45×50 | 約100 | 約150 | 土器・磨石斧 |
No.6 | ? | T4―南壁 | 約100 | ? | ? | 礫? |
No.7 | ? | T4―北壁 | 約120 | ? | ? | 礫? |
No.8 | 袋状 | 第1号住床面 | 175×190 | 38 | 190余 | 土器・凹石 |
土壙内部の充填土を除去した結果がはっきりしているのは,No.2・No.3・No.7・No.8でNo.3を除いていずれも破損品の土器とウキの状態で焼土が出ている。No.3の開口部下方の狭ばまり部分の存在やNo.2内部の充填土がローム塊土を含む在り方などは廃絶された土壙が不用物の投棄と壁体崩落を繰り返えしながら次第に埋没していった土壙の終末的な状態を示していると考えられる。本遺跡に限らず土壙内部から焼土層が検出されることは稀ではないが,理由は分らないがそれが焚火による形成ではなく,埋没に伴う堆積であることは目下のところ例外ケースを見ていない。