5 T1-Ⅴ区土壙出土の土器

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 当土壙から出土した土器のうち特徴的なものを抽出し,拓影・実測図により図化したものが86~143と写真144~148である。そのうち個体は121~125・127・133~134・136~140・142~143の合計15個,器形復元可能な大破片が108・119・126・128~132・135・141及び写真144~145の合計12個分。投棄された量としては多い方である。それが一括投棄か或る時間幅をもって断続的に投棄したのか,恐らく後者の可能性が高いと思われるがいずれにしてもこれらの土器群はほぼ同時期の所産と見られるもので,その時間幅は二形式の変遷を経るほどの期間にはわたらないと考える。土器群を個々に眺めると火熱をうけて破損した廃棄品が多く,欠損部分が多いのが特徴で,その点からも調査当時に想定された「貯蔵」などではなさそうである。このように,これらの土器群は環境的な条件からみてもほぼ同時期の所産と考えられるにもかかららず,土器の特性からは相互に異質な阿玉台式と大木8a式とに二大別でき,両形式は先後関係をもって対置される存在なのである。即ち,土器群はその属性に基いた特徴と部分的な細部の特徴とによっていくつかのバラエティーに分類することはできるが,総括すれば阿玉台式と大木8a式との二大別であり,前者の継続発展により後者を生じることがあり得ないことを文様や器形上の断絶が示しているのである。
 阿玉台式に属する土器をグルーピングすると次の3類となる。
 第1類(86~98・127~128・142)
 器面の区画帯や余白部分を,沈線文の併列・縄文・櫛引文等で充填するもの。頚部以上が直立する125のような器形の大型土器が一般化する。94~97は典型例で,4対応する波状口縁の波状部三角状区画文が文様の主体となり,文様が口頚部上半へ集約される。結節沈線やキャタビラ文は省略されるもの(88)も珍らしくない。90~92は線引きして口縁部を一条の区画帯とし,縄文の傾斜を変えたり沈線文を併列したりしてこの部分の文様化を強調する。これらは勝坂式の要素を含まない阿玉台式の末期的・退嬰的な様相を示すものである。
 第2類(29・99~102・121・123・126)
 キャタビラ文・ヘラ押文を伴う太い隆線により区画帯をつくる。キャリパー状深鉢形を呈して口頚部と胴部との文様分化が明確なもの。4対応する山形波状口縁をもち口頚部の上半に隆線による区画文を集約する。口頚部下半の無文帯を経て,くびれ部以下の胴部には斜行する隆線を貼り中位の変曲点に凸起部をつけ,余白部にはヘラ描き沈線で区画文を施す。123はやや変形的。胴部文様は口頚部文様に対応せず縦割りしていない。この類は121に代表される阿玉台式の末期的な様相を示すものであるが,101・102のような円環状の凸帯や121・123の口頚部区画帯を充填するヘラ描きの鋸歯文など,勝坂式の要素が加味されている点に特徴がある。
 第3類(103~106・122・124~125)
 器形と文様帯の構成との基本形態は前項と同類であるが,より強く勝坂式の要素をもつもの。太い隆線とキャタビラ文とにより,つくり出された区画帯・器面の余白部にヘラ描き沈線や縄文を施して充填する。写真146・147・124は波頂部に渦巻文をモチーフとしたマッシーヴな凸帯をつけ,125は口頚部の区画帯の連結部に円環文をつけ,122は鋸歯文を主体とするヘラ描き沈線で余白部を隙間なく充填している。また122・125は底部付近に区画線を廻らせ,以下を無文化しているが,これも勝坂式の「く」の字状屈曲に似た胴部文様帯処理である。これらの土器は部分的には勝坂式の様相を呈するのに阿玉台式のイメージを保持しているのは,125に代表される第1類,第2類の土器に共通する器形と文様帯構成の基本を守っているからであろう。以上の観察から阿玉台式と勝坂式との相関関係について要約すれば,阿玉台式の最終末においては,キャタビラ文に象徴される伝統的な阿玉台式を客体として勝坂式の要素が寄生している。第2類と第3類とはこの寄生現象の程度差によるもので,その意味で両形式の接触様式といえる。従って,大木8a式に先行するこれらの阿玉台式には,勝坂式の要素は加味しても大木8a式の要素は加味しないのが一般相であるといえる。しかし特例的に大木8a式の要素を加味した事例もある。103の余白部処理におけるワラビ手文の施文である。双立するこのワラビ手文は場合によっては錨文として,大木8a式の余白部処理における副次的文様として多用されるものである。このような103の存在は,阿玉台式に対する勝坂式要素寄生説にいささか背反するものではあるが,目下のところ稀少事例であり第2・3類の阿玉台式の様相が大勢であることは事実であるので普遍的現象としては取り扱わず,勝坂式要素の伝播と同時期に大木8a式の浸潤があった事実を裏づける物証としてのみ理解しておきたい。
 大木8a式に属する土器をグルーピングすると次の3類となる。
 第4類(104・108・113~115・117~120・129・131・133)
 口頚部でくびれ口縁部が外反するものを含め,胴上半部がふくらむ甕形土器で,胴部文様帯が主体。大型土器が多い。単位文様を対置させるが割りつけ区分をせず,文様帯は連鎖して横位に展開する。108・119・129はくびれ部または口頚直下に渦巻文を施しこれに屈曲する副次的文様を連続させる。133が代表例で,主体となる渦巻文は4対応し,口縁部のS字文凸帯等に対置される。副次的文様は133の双立状のワラビ手文や131の錨文が多用される。この類は甕形の形状での飾り文様の効果を意識してか,ふくらみ部上部に文様を展開させ,口縁部はむしろ従的な扱いとしている。地文に縦転しの縄文をつける。短い原体を一定間隔で回転押捺し,外見上は縦位の磨消痕を併列したように見える。原体は2種以上用いることがあり,撚りを変えたものが使われたため矢羽根(綾杉)状に施文されることがある。文様は細い隆線を貼り両側に沈線を伴うが,この沈線は阿玉台期の技法が残影となって現われ「結節沈線」となるケースが多い。この阿玉台的技法を残したものを接触様式と呼んでおきたい。しかしながら本項の事例は残影に過ぎないもので,土器としての器形,文様要素と構成・配置等は新しい大木8a式のそれに従うものであり,前述した阿玉台式における勝坂式的要素にみられる如き〝ドッキング〟型の接触様式とは若干性格を異にするようである。148の人面把手は133と同個体と考えられるが接合できなかった。
 第5類(107・109~111・116・130・134・135・141)
 口頚部がくびれる甕形や胴上半部がゆるく外反する深鉢形土器で,口縁部にS字文をデフォルメした立体的な把手をつける胴部文様に比重が重い。器形は前項と同様であるが,器面を4単位に縦割りする規則的な施文を行なう。134は口縁部の凸帯に対応して,頚部に廻らせた区画線に垂線をとりつけて(とりつき部がY字状で阿玉台式的)胴部を4単位に区画する。135・141は口縁部凸帯に対置してくびれ部直下に渦巻文を描き,これから垂線を延長して器面を4単位に割りつける。この垂線は区画部分の文様展開の基準となり,唐草文のように渦巻文を枝分れさせた屈曲線文(134)や横走する鋸歯文(109,141),直線的な曲折文(110,116)などのとりつけ基線となる。130は波状口縁の波頂部に阿玉台式に似た耳状把手をとりつけ,これに対応するくびれ部直下に区画線をV字状に変化させて垂線とりつけの基点としたもの。矢羽根状の地文施文も注意される。結節沈線が多用される点も,主文が渦巻文で副次文が錨文・ワラビ手文(135等)である点も,器形も文様の設置位置も前項第4類と基本的特徴は変らないが,垂線で規則的に器面割りつけを行った点と関係があるのか,130の擬耳状把手・134のY字状の垂線とりつけ部分など阿玉台式の〝遺風〟が現われている。しかしながら,これとても器形,文様構成の大勢から阿玉台式との複合に係る具象的要素とは断定できず,前項同様の〝残像〟型の接触様式と見るべきであろう。
 第6類(112・132・137~140・143)
 口縁部に併行する隆線を貼って凸出帯(ベルト)をとりつけるもの。胴部は円筒状で口頚部が外反する深鉢形で138・139が代表例だが,137のように甕形もある。凸帯部分にS字文を貼付し,対置したり連鎖させたりする。文様の主体は口縁部の凸帯で集約化傾向が強調され,138・139のように胴部施文をしないのが一般的。137・140は胴部に沈線で屈曲文を描くが,基線となる隆線を省略し相対的には副次的な文様となる。このような器形と文様構成は大木プロパーの在り方に由来するものと考えられ,口頚部が内弯する所謂キャリパー状深鉢形土器に先行し,画然と分離されるべき一群の土器として把握されるものと考えられる。結節沈線が残像として多用されるのは前項と同様である。加曽利EⅠ式の,特に後半段階における最もポピュラーな口頚部内弯型キャリーパ状深鉢に対し,前半段階の,殊に当土壙の初現的ステージに置かれる共存土器群が甕形や口頚部の直線的外反型深鉢形を呈することは,各段階を通じて器形が流動的に変化していく過程を例証するものであるが,今後はそれ以上に生活上の用途を反映した機能に係る「器種」としての検討が要請される。
 その他(136)
 口頚部が「く」字状屈曲する浅鉢で,口縁内側に稜がある。こね鉢として用いた場合,内容物が激しく動かされても外へ飛び出さないよう配慮したものか。浅鉢には,この手の「く」字状屈曲による〝アゲ〟があるものと単に外反するものとがあるが前者が多い。