1.二つの形式とその組成

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 提示した原資料のうち,その殆んどは阿玉台式と大木8a式であり,前者はその最末期に,後者はその初現的段階に位置づけられる土器で,両者は相互に共存または時間的に至近距離にあることは繰り返し述べたとおりである。それを器形と文様構成の概容が窺える個体を中心に整理してみると,
a.阿玉台式本来の要素を保持している伝統的な土器=3・49・50など

b.終末期様相を呈し退嬰的な段階にある土器=42・74・76・78・79など

c.阿玉台式本来の要素の勝坂式の要素を加味した土器=58・77・103・121~126・146・147など

 大木8a式
d.大木式本来の要素を保持している土器=26・33・48・81・83・84・132~140など

e.大木式の一群であるが,阿玉台式の残影を宿すものを含む土器=34・129~131・133~135・141など

の5通りにまとめられる。細部的には画然とし得ない面もあるが,概括的な要約である。
 これらの特徴は,
 a.口頚がゆるく外反する深鉢形で,口頚部に楕円状横帯文(内部を斜行沈線で充填)を連鎖させて文様帯を集約し,胴部に刻み目文を何段か廻らせる。沈線は結節沈線(角押文)で,地文をつけない。
 b.口頚部が内弯するキャリパー状深鉢,ゆるく外反する深鉢形で,口唇部を肥厚させ無文・縄文・刻み目文等により装飾する。器面に地文(縄文,櫛引文など)をつける。阿玉台式本来の区画文,それを構成する結節沈線文・キャタビラ文等が後退する。4対応する波状口縁のキャリパー状深鉢形(口頚上半部に文様帯集約)は,cの土器にも共通するが,隆線に半截竹管の押引きによる平行沈線を伴う程度で区画帯はベタ転しの縄文だけをつけ,全体的に器面装飾が消極化する。
 c.口頚部上半が直立する背の高いキャリパー状深鉢形が一般的。口唇部上半と胴部とに文様帯が分離し,キャタビラ・ヘラ押文を伴う太い隆線で文様帯を区画し,ヘラ描きの鋸歯文・円環状の凸帯文・波頂部分の立体的なデコレーション・底部の無文部分など勝坂式の要素が加味されている。地文(縄文)が一般化する。大型で,飾り文様が派手になる。
 d.口頚部が直線的に外反し胴部が円筒状を呈する深鉢形で,口縁部に太い隆線(指圧痕を伴う)を2条廻らせ突出帯(ベルト)をつくり,それへS字文等の凸帯をとりつける。文様の主体は口頚部にあり以下の器面は地文(縄文)だけで,沈線文・隆線文による飾り文様をつけないのが普通。
 e.頚部でくびれ肩が張る甕形で,口縁部の把手に対応して胴上半部に,沈線を伴う細い隆線・2乃至3本セットの沈線等で渦巻文が主体,これに連鎖する錨文・ワラビ手文を副次文として施す。地文は,間隔をあけて縦転しの縄文,2種以上の原体を交互に縦転し(矢羽根,綾杉状)する縄文が多い。文様の主体は胴上半部にあり,渦巻文・直線的曲折文を中心とする横方向への文様展開が主流。余白部を充すために副次的文様を多用するが,器面の縦割りによる文様帯の規則的な割りつけは確立していない。結節沈線が多用され,隆線の取りつけ部分はY字状化するなど部分的に阿玉台式の残影が目立つ。dに較べて大型で,飾り文様が複雑・過多である。
 これらの組成をみると,阿玉台式のa・bは前段階から様式を継承しており,cは後出的外来的な様式を受容したものであり,大木8a式のd・eは共に外来の様式波及によって成立したものである。それぞれの代表的な器形において,阿玉台式の78・79・125など,など4タイプほどの器形は,大木8a式の48・133・138など3タイプほどの器形とは断絶がある。文様構成や展開においても,阿玉台式の楕円状区画文・波頂部を中心とした三角状区画文,胴部の屈曲文などは,大木8a式のS字文,渦巻文・直線的屈折文,錨文・ワラビ手文などと相互に絡脈をもたないものである。隆線の太さや貼り方,地文のつけ方において両形式の間には明視できる差異がある。要するに,関東系統の阿玉台式と東北系統の大木8a式とは技法上では全く違う土器なのである。阿玉台式が発展して大木8a式になることはあり得ない。このことは当地方における加曽利EⅠ式の成立に関して興味深い問題を提起する。この異系統の二つの土器が共存乃至は時間的に至近距離にあることを示すのが,T1-Ⅴ区土壙や第1号住居址の土器群である。親縁関係をもたない土器が交替するとき,特に新様式の受容において「抵抗」や「動揺」をあらわす現象が起るのは当然であり,接触様式を生じることになる。この観点に立って「湯坂の土器」を眺めると,終末的・退嬰的な段階にあった阿玉台式の継続中に大木8a式の侵潤が起ったことが分る。受容は即応的に短期間に行われたが,受容における〝ためらい〟現象は阿玉台式の要素が残影化して現われたことを奥会津(例えば田島町)においても認められる。独り湯坂遺跡のみの局地現象ではないのである。