2.二つの接触様式と意味

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 阿玉台式における勝坂式の要素の在り方は,それが部分的な受容であり,土器自体の容姿が阿玉台式の基本相を失っていないところから,調和・融合はしているものの,これを〝ドッキング〟型接触様式と考えたい。いわば終末相の阿玉台式を母胎とする寄生現象である。この意味で勝坂式の要素は阿玉台式の終焉と共に亡び,一般に大木8a式に及ぶことは少ない(若干の例外はある)。寄生母胎喪失の大勢に従うものと理解されるが,その要因は勝坂式の要素が異質的ではなく充分に阿玉台式と融合していたからであろう。新しい外来の大木8a式における阿玉台式の要素が,結節沈線(角押文)や貼紐のY字状とりつけなど,古くからの伝統的技法のみで,区画文やキャタビラ文など終末期的要素を導入していないのは,両形式の違和が根底にあるためであろう。阿玉台式土器をつくりながら,一方では大木8a式土器をつくる――という短期間ながらも両形式の重複があったことは,阿玉台式の最も古式の根本的な要素だけは異形式土器作成の中にもちこまざるを得なかったものと考えられる。いわば〝消し残り〟であり,新様式受容への〝ためらい〟である。これを〝残影〟型接触様式と呼んでおきたい。大木パワーに対する「抵抗」とでも理解したらよいのだろうか。大木8a式は,阿玉台式が勝坂式の要素を受容したようには,先行形式の要素を受容しなかった。ここに阿玉台式と大木8a式とにおける接触様式の根本的な差違があると考える。土器の変遷はそれを保持してきた地域集団における文化の受容形態の変化を物語る。文物,習俗上のテリトリー変容に係る現象である。袋状土壙群在の時代に入り,遺跡数の激増・定形集落の大規模化が開始される。同じ加曽利EⅠ式でいくつもの段階を途ることができるほど資料がふえ,土器組成の多様化が継続する。物質的環境の充実――大木8a式が受容された時期は,地域集団をとりまく背景が飛躍的に向上しはじめ清新・進取の気風が充ち溢れていたように思えてならないのである。