昭和33年

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 文献3.「湯坂の土器」 海老原郁雄 下野考古創刊号 昭和33年4月
 ガリバン刷手書きの同人紙で2号しか続かなかった。たどたどしい論法で〝土器論〟を展開しているが,問題になっている土器群を東北地方の土器との関係に視点をすえ,いわば〝横方向〟の編年観でとらえようとしておりその点で初現的である。ただし,大木8a式を大木7b式と見誤るなど内容上にミスがある。東北地方との関連性を栃木県の地理的位置に求め,本県北部が関東の文化圏と東北南部の大木圏との〝接触地帯〟であることを強弁しているが例証に乏しく観念的である。
 
 文献4.「縄文中期に伴う特異な石器」 栗原文蔵 国大考古学会々報第54号 昭和34年7月
 湯坂調査の成果を簡明に触れ,「勝坂・阿玉台系統の土器に,大木系の土器 (8a)の伴出する事実,雲母の含まれた加曽E式の存在」を指摘すると共に,調査でも出土した用途不明の「凡字形石器」の存在を報告した稀少な文献である。この石器はその後も若干ずつ発見事例が増しているが伴出時期を明確になし得ないものも含めて依然,この文献における観察以上に出ないまま,特に注意されないままに最近に至っている。特異な石器としていち早く取上げた栗原氏の慧眼に敬服すると共に,その後の継続的研究が行なわれなかったことを遺憾とするものである
 この石器の問題点については別項でふれるつもりであるが,近々類似資料を一括して紹介したい。