2 提起された問題点――T-Ⅴ区の土壙をめぐって

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 湯坂遺跡発掘調査で多量の遺物を伴っており注目される遺構は第1号住居址とT1―Ⅴ区土壙とである。第1号住居址はプラン確認面即ち覆土上面における土器個体群と床面部分の土器とに遺物を取り分けたものの,住居址埋没後に土壙が掘り込まれて〝切り合い〟関係にあるために,覆土上面の土器個体群が住居址と土壙のどちらに伴ったものかを分離するのは困難である。この土壙のために,プラン内出土の土器について共伴関係を追求できないのである。その点で,T1―Ⅴ区土壙は開口部確認の時点で〈大きな木株で蓋された状態〉にあったので,縄文時代以降の攪乱はないものと考えてよく〝密室〟状態にあった遺存度良好な遺構であるため後の議論を招いた。事実は,1.大きな土壙があって 2.その中に土器が多量に入っていて 3.その土器は形式を異にするものであった。ということである。これから提起された問題は次の二つになる。
 1,2を含めて土壙の利用目的は何か
 3の土器形式の差違をどう解釈するか
 この縄文中期に起った二つの現象は独り湯坂遺跡の〝個性〟にとどまらず,以降の遺跡発掘において同様事例か確認されるにつれて単独な先例から一般的現象へとそのシテュエイションが上昇したのである。これは湯坂遺跡を考えていく鍵となる事柄であるので,前項の研究小史の延長上の存在として,それぞれがどんな意識や解釈を付され,更に問題の焦点になった点は何か……などについて少し掘り下げて述べてみたい。