かくも大量の土器を内蔵した大穴に出会ったのは稀有の経験であったから,特別の理由があると解釈したのはむしろ自然といえた。即ち,土壙は〈土器を貯蔵するために掘られた〉ものであろうと考えられた。土壙の充填土や土器の出土状態を詳細に観察すれば土器は投棄物であり,土壙本来の機能には直結しないことが判断できたかも知れないが,とり上げることに主眼があった当時の発掘技術では土壙の本来的機能と内蔵されている土器とを分離して考える資料を得ることは困難であった。人為的に「埋納された形跡が認められる」土器群を内蔵した土壙に「原始宗教の匂いの濃いもの」を感じたのは,埋納が何らかのタブーか社会的規制などに起因するためではないか,とする疑いがあったからである。それには
① 物忌み ② 供献 ③ 集団の象徴(銅鐸の一括埋納のような) ④ 墓壙の副葬 ⑤ 期間的な貯蔵 などである。
土器には無傷のものはなかったが,かなり原形をとどめるものもあったため①の考え方は有力であった。何かのタブーがあって一括埋納したのではないかとする推理で,今でいえば「吹上パターン」の土器投棄の考え方に似通った解釈であった。②,③,④は如何に空想しても現況からこれに直結する物証がなかった。土壙中に焼土の層があったことは既述の通りだが,これを投棄物とは考えていなかった。T1の各区に数カ所の焼土部分があるが,これと同様に焚火跡と判断したわけである。土器を埋納する間に焚火をしたなら相応の理由(原始宗教に関する行事?)がある筈であり,その状況によっては土壙内の遺物は一括共存ではなく,焼土層を境にして埋納の時間差つまり遺物の先後関係の同定ができるかも知れない,とする期待があったのである。⑤は土器溜めを想定するもので,或る期間を経て必要時に取出して再使用するものではないか,という解釈である。〝再使用〟しなかったから大量に土器が出土しているわけだが,それが故意か過失か事故かどんな理由によるものかはさほどに検討はされなかった。調査では他にも土壙は見つかっており,これらは〝貯蔵庫様のもの〟と判断されたのに,当土壙のみに単なる貯蔵以上の特別な機能を付託したのは大量の土器群に幻惑?されたばかりでなく,土壙自体の規模が大きく掘削時に非常な労働量を必要とするため〈ただの穴ではない〉と考えたからのようである。
いずれにしても,土壙の事実認識に立脚した考え方ではなく,その意味では〝空想的〟なのだが,調査中のミーティングその他で,上記の数の想定が背景となって〈原始宗教〉関連の思考が生まれたのである。従ってこれは決して「ムードにもとづいた暗示」などではなく,土壙機能を深求するための初現的な仮説であったと銘記しておきたいのである。