第Ⅲ部 栃木県における加曽利EⅠ式の成立と展開――湯坂遺跡の土器の位置づけをめぐって――

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 湯坂遺跡の阿玉台式を伴う大木8a式の様相については前述したような状況である。ここで,この一群の土器を栃木県における加曽利EⅠ式の中で編年的にどう位置づけ,それへの解釈を加えて総合的に検討するために,共存するものと信じられる発掘資料をいくつか抽出して下記の者が議論をした(昭和54年3月25日)。
 海老原郁雄 川原由典 八巻一夫 福田定信 初山孝行 芹沢清八 桜岡正信
 議論は縄文中期前半から中葉に至る土器形式の変遷とその中で湯坂遺跡の資料をどう理解するかについて終始したが,内容が細部に及んだり方向が若干ずれたりした部分もあり,必ずしも意見が一致しない点もあるので,本稿は話合いの流れを整理し段階的に順を追って海老原が代表して記述することとした。内容は議論の大筋から逸脱してはいないが,表現や表記については若干の〝独走〟があるかも知れない。その意味で,討議をふまえながら全体的な調和をとって記述したつもりであるが,発言者の意見に合致しない部分もあり得るので,予め了知していただきたい。