湯坂遺跡 T1-Ⅴ区土壙出土の土器。本書実測図の121・122・123,124・125,137・138・・139,133・135。出土状態から共存と考えられる。
高尾神遺跡 156~162の7個体。昭和49年10月発掘で報告書は未刊。全部で18軒発見された住居址のうちの第3号住居址の出土。この住居址は3期にわたる建替えをしているが,その最終段階において円錐状のくぼみに一括投棄した土器ではないかと考えられるもので,厳密には時期的な混在もあり得るかも知れないが,まず一括土器と考えられる資料である。
乙女不動原南遺跡 163・164。昭和51年2~3月調査。7基発見された中期の袋状土壙群近傍の42G(グリッド)で重り合って出土。平地林で攪乱がなく遺物が多出したが遺構はなかった。捨場であった可能性もあるが,出土状態からみて共存とみてよいと考える。
片府田遺跡 165・166。ゴルフ場傍道路工事に伴って出土。1つの遺構内において共存した可能性が濃い。
弁天池遺跡 167・168・169。167はP-5(第5号土壙),168・169はP-3(第3号土壙)の出土。168は壁ぎわに他の4個体と横転して,169は底面に他の1個と共に存在していたもので,168・169は共存すると考えられる。
山居台遺跡 170・171。採集資料で4個体中の2個分。明確に遺構に伴ったという証拠がない。
浄法寺遺跡 172・173・174・175。報告書が未刊だが,昭和51年度に県教委文化課で調査したもの。袋状土壙から14個体一括出土した土器のうちの4個体。
梨木平遺跡 176・177・178。P-18(第18号土壙)出土の土器。出土状態により共存するものと思われる。
金井台遺跡 179・180。G(グリッド)295の袋状土壙から出土。16個分ほどの土器と共に出土したうちの2個体。共存するとみられる。
台耕上遺跡 181・182。第2号土壙から出土したもので共存すると考えられる。
鹿島神社裏遺跡 183・184。P1(第1号土壙)から出土。184は内部の柱穴状ピット内から出土した。共存すると考えられる。
平林西遺跡 185・186・187・188。改田工事中に出土。185の中に187が入っていて,他の2個もその傍から発見された。一括出土の資料とし取扱って問題ないと考えられる。
竹下遺跡 189・190。袋状土壙から3個体が一括出土したうちの2個体。共存と考えられれる。他の1個は高さ58cmの大型キャリパー状深鉢形で口頚部に重弧文と渦巻文を描き立体的な大型把手をもつもの。
出典は文末の参考文献に掲載した。各報告からの抽出土器について,出土状態等を転載すべきかとも考えたが,記述方法がまちまちでかえって不統一をきたすかとも思い,共存すると考えられるものについてその結論だけを記した。また,共存する土器をすべて掲げる必要も感じたが,本項の目的は特に主流的な変遷を眺めることにあったのでそれは省略した。従って,あくまでも抽出資料であり,副次的に派生する問題については,大観する目的に沿って敢えて省略した旨付言する。
参考文献
1.高尾神遺跡 大川清 栃木県史資料編考1 栃木県史編さん委員会 昭51年3月
2.乙女不動原南遺跡第1次発掘調査概報 小山市教育委員会 昭52年3月
3.那須郡湯津上村片府田出土の土器 海老原郁雄・川原由典 Circum-pacific 10 環太平洋学会 1978.4.
4.芳賀町弁天池遺跡調査報告 宇都宮大学歴研考古学グループ 昭45年5月
5.栃木県芳賀郡益子町山居台遺跡出土の遺物 海老原郁雄・川原由典 Circum-pacific 2 環太平洋学会 1975.12.
6.浄法寺遺跡出土の土器 橋本澄朗 栃木県埋蔵文化財保護行政年報 栃木県教育委員会 昭53年3月
7.梨木平遺跡第4次調査報告書 上河内村教育委員会 昭50年3月
8.金井台(栃木県芳賀町金井台遺跡発掘調査報告) 芳賀町教育委員会 1970.3.
9.台耕上遺跡 中村紀男 東北縦貫自動車道埋蔵文化財発掘調査報告書 栃木県教育委員会 昭47年3月
10.鹿島神社裏遺跡(第1次・第2次発掘調査報告書)鹿沼市教育委員会 昭49年4月
11.宇都宮大学保管の縄文式土器 峰考古第1号 宇都宮大学考古学研究会 1977.1.