幸いなことに黒羽地方は、開発と保護とがよく調和し、他の地方に比して自然がより豊かさをもって保全されている。これは黒羽地方がかつて過疎地帯であって、開発の後進性からということだけでなければ真に喜ばしいことである。
黒羽の人々が、真にふるさとの山と川を愛し、人間としての生き方を追求してきたからであろう。真の文化とは何か、将来を洞察して、黒羽という地域の特性を自然性と人文性から、これを見極めて対処してきたからであろう。現代社会は「知恵の社会」であるという。しかし、知恵のいかし方が問題である。真の知恵をはたらかせる人間性を培う教育が待望されるわけもそこにある。
ふるさとの山 関谷雲崕筆
黒羽人にとって、自然の中に内包している文化(歴史、伝承など)を尊重することは、子孫のためにも大切なことである。
文化がどのように進展し、科学化、合理化された社会が到来しても、決して忘れてならないことは、先人が自然の厳しさの中に天与の恵みを享受していた原初の世界であろう。それは一昔前までの稲作に伴なう神事の心であろう。
村人が神仏に五穀豊穣と世の平穏を祈り感謝を捧げた温かい心がそれである。稲作に生きる朴実な農民の平生心である。古代人が持つ赤き直き心であり、なごやかで清らかな誠実の心である。
豊饒の神をまつる八溝嶺神社
庚申塔(部分)
黒羽は住みよい所だという、人々が定住し、人間らしく生きていく場として恰好の地であると思う。幾歳月の雨水に刻まれた八溝山地には林相の美しい豊かな緑があり、悠久の那珂川の流れは静かなたたずまいを見せ、黒羽の城下を洗っている。また蛍が飛び交った水流の豊かな田園地帯が残されている。
緑と清流の豊かな安らぎの里が黒羽である。文化が花と香る潤いのある歴史の町が黒羽である。
黒羽の気候は恵まれている。暑からず寒からず、季節風もそれ程強くない。風花は咲くが、降雪は珍らしい位で少なく、根雪はほとんどない。しかし偶々春雪がスギに被害をみせる。台風の目も幸いなことに、黒羽地方を避けて通ってくれる。河川改修、護岸工事の施工と相俟って水害も減少する。冬季早朝の低温と夏の雷雨を除けば、すべて中位的気候と言えよう。
黒羽地方は山紫水明の地で、四季折々の景観はすばらしく、幾多の芸術作品を生み、人々の心を育くみ、快的な生活環境を与えてきた。
春にさきがけ八溝を刻む武茂の渓谷に蕗が芽立ち、万作の花は綻び、ウグイスが谷を渡る。やがて城址公園・高館・明神峠が花で埋まり、新緑は行楽の人を招く。アユの香が漂う那珂の清流、深山の茂みにヤマユリが揺れ、若スギはのびやかで、碧空を摩すスギはたくましい。彩紅をみる野山は美しく、霜の降りた落葉を踏む散策は静寂そのもの、深山と枯野、川面の冠雪は風情があり、松籟がこだまする冬寺の景は美しい。確かに黒羽の自然は美しく豊かである。
西高東低の気圧配置は、那須おろしとなり、蒟蒻いもの乾燥には恰好。落葉に霜が降り、農作物の収納をすませるとやがて正月を迎える。
黒羽町は平地より山地が占める比率が多く、痩地と酸性の土壌も多く一般に土地生産性が低い。
那珂川の洪涵地には、河岸段丘が発達し、八溝山地内にも樹枝状に発達した谷底平野がみられるが、此処に水田が開けている。八溝山地の崖錐と丘陵性の台地には畑が多い。
最近、構造改善事業が進み農業の基盤が確立され、土地改良にも努力、施設園芸等多角的な経営がみられた。さらに電気揚水等による水田灌漑方法の改善、機械化、省力化、さらに農外収入の増大等もあり、農村は豊かさを著しく増大した。
曽て那須の狩倉であった乾燥原と台地の赤松林もそして畑も水田化し、開析谷の小区画の耕作地も碁盤の目のように区画され、大型のコンバイン等が動く農村風景は、全く面目を一新した。
古郷「方田」「全倉」など今も水田が広く開けている。川西郷は飛躍的に水田化が進み、黒羽の穀倉地帯をなしている。
河岸の段丘上は葉煙草の産地。特に河東物は良質とされてきた。那珂川沿岸が集積的栽培地である。
八溝山地は、花崗岩の風化した土壌で、スギの生育に適し黒羽のスギとしての声価を高めている。これも土壌を生かし、植林や伐木・製材業者の人々の努力のたまものである。なお関係者の努力で、つねに緑化がすゝめられていることは何よりのことである。
武茂川沿いの排水のよい八溝山麓は茶と蒟蒻の産地である。「須賀川のお茶」として、生産も増し、品質も向上し、その声価を高めている。この地は佐貫、大子地方(茨城県)に亘る特産地である。
採草地の多い黒羽地方は古くから馬産地帯であり、仔馬の耀市(せりいち)もみられたが、現在はその影もなく、今は酪農が営まれ、サイロのある牧場の景観がみられる。
「那須のしのはら」とよばれてきた平地林も開発され、八溝の原生林もスギ・ヒノキの植林地に衣がえした。
お宮とお寺は神仏が宿るところであり幾歳月にわたって人々の信仰心に支えられ、霊場として整えられ、境内に入っただけでもその森厳なさまに心がうたれ、思わず襟を正す。
特に境内の巨樹は厚い信仰心と歳月とを感じさせる。湯泉神社のアカガシとスギの社叢、大野室のイチョウ、両郷のヤマザクラ、湯殿のヒイラギ、堀之内のツクバネカシ等、県指定天然記念物になっている。これらはみな県内第一級の巨樹で、みな霊魂がこもっている。
老杉の樹木も多い。野上温泉神社、雲巌寺の並木と門前、独木橋付近の大杉、大宮、岩谷等がそれである。また法善寺、竜念寺にはシダレザクラがあり、不動院にはカヤの巨樹がある。なお草を分けて尋ねあてた小さな祠にも、誠実に神仏とともに生きてきた人々の心を感ずる。
石川暮人の歌碑から(雲岩寺)
谷道遥かに,松・杉黒く,苔しただり
卯月の天今なお寒し(雲巌寺)
黒羽の風土は美しくあたたかである。自然は緑に覆われ、清冽さを見せ、何げない風情をみせているが、そこには幾歳月にわたる人々の喜びと悲しみがこもっている。また生産や生活の場であり歴史が綴られた舞台であり、伝承文学の壌土である場合が多く、自然そのものではない。
黒羽における中世の仏教文化、さらに近世における文化尊重の気風は、明治新政のなかで開花し、人々のあたたかい心を培ってきた。
ふるさとの山河は今も生きている。そしてその光彩は私たちに無限に接してくれる。
人間形成の上に、歴史的風土の影響力は大きい。黒羽人らしい人間像は、黒羽の歴史と伝承が内包した風土から培われたと言って過言ではあるまい。
黒羽の人は仄々とした文化の香りと気位を残し、真面目で堅実であるという。これは特に黒羽藩政時代に培われた文化遺産であるという。しかし長く国替えもなく旧族大名であることゝ、山に囲まれた農山村社会の生活慣習やものの考え方の中に置かれたことなどからくる封建性との残滓があることは否定できない。人間性にも大きな影響を与えている。
しかも先人は長く稲作と山の仕事に従事し、血縁的、地縁的共同社会を形成してきた。その中で培われてきた性格は、義理が固く実直である。一方、慣習が重んぜられ、閉鎖的で保守的なものの考え方が身についていた。現代人として最も必要な資質である主体性とか、積極性に欠け、個々の身構えに終始し、依存度が高く、困難に立ち向う気力が乏しいといわれている。これからは現代人にとって最も必要な資質の一つである闊達の心を養うことが特に必要であろう。
黒羽には溢れるばかりの自然と、豊かな歴史、貴重な文化遺産とがある。
わたくしたちは歴史を今に生かし、教育をさかんにし、かおり高い文化を創造し、豊かで潤いのある生活とを念願している。このようなとき、ふるさとの自然を格別愛し、自然と人間との調和、両者が共に活かされる生活環境を整えなければならない。そしてこの中で自他ともに生かされる社会連帯の意識と責任ある行動力を身につけた有為な社会人を育成しなければならない。これは教育の大きな課題の一つである。
石川寒巌筆
わたくしたちは、美しく緑に包まれ清流に洗われた豊かな環境に生きる喜びをかみしめ、感謝し、これを愛護し、さらにより良い環境へと努力を重ねることは、自然界に生きる人間として最も大切なことである。