(二) 歴史的文化的にみた位置

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 黒羽は古代那須国―那須郡の圏内にあった。そしてこれを含む下野国は東山道の奥の一国をなし、当時の文化地帯であった京畿地方から遠く離れていた。陸奥と関東の接する地方にあり且つ那珂川流域と古道東山道の通過地でもあったので、文化面の影響を受けたが、一般的には文化の後進地域であったと言えよう。
 近世―近現代になって文化の中心が江戸―東京に移ってからも、ほゞ同様である。但し黒羽が黒羽藩の城下町であったので、藩領内各地との結びつきが強化され、さらに那珂川の舟運などを通じて南奥・水戸方面との交流が盛んになった。加えて歴代藩主の中に開明的な学将が多く居たので、江戸文化の導入が積極的にみられた。
 首都圏を東京を中心とする水戸・宇都宮・前橋を結ぶ以南の関東地方とすると黒羽はその外縁地帯を遠く離れたところに位置している。しかし文化的にみると東北地方とは比較にならない位東京との関係が深く、黒羽町の人々は宇都宮―東京への指向性と近接性とを懐いている。
 栃木県は太平洋ベルト地帯と東北日本を結ぶ廊下のような位置にある。国道四号線・東北高速道路、東北本線、東北新幹線などが通っている。
 黒羽町はこの主要幹線路と如何に短絡するかが、文化、経済、政治の上からみて一つの課題であろう。
 現在、黒羽町は国鉄東北本線西那須野駅から東野交通の定期バスで東の方十三キロメートル、約三十分の距離にある。
 黒羽町は前述のように東京の文化圏に属している。なおこれを水系の上からみると、利根川水系の文化圏に属しながら利根川と久慈川の文化圏のなかにあると言えよう。

利根川水系文化圈

 黒羽町の人々は、現在黒羽町という行政区域の範疇のなかで、行政機関をはじめ各種の機関、団体などと緊密な結びつきをもって生活しているが、これを越えて広域行政圏、さらにもっと広い範囲での生活行動がみられるようになった。これは交通機関の発達によるもので、時間的距離の短縮によるものである。
 黒羽町がおかれている位置と地形などの自然環境などから、周辺地区との結びつきはかなり強い。これは商圏をはじめ、通学、通婚関係などにみられる。特に黒羽地区の南部は馬頭・小川町との結びつきが強く、川西地区北部は黒磯市と、須賀川地区の須佐木は馬頭町と、須賀川は茨城県大子町と、両郷地区の北部は那須町の伊王野との結びつきが深い。

栃木県粁程図