「八溝山」の名称は、数多くの浸食谷=溝(みぞ)をもつ山に付けられたもので、黒羽藩士三田称平(しょうへい)(地山(ちざん))はこの山の名を『八渠山』とも称している。曽良の『書留』にも、「みぞ山ひたち・下野・みちのくのさかい」とある。みぞ山は八溝山のことである。
前記『創垂可継』には「雲苓(うんれい)岳」「山王(さんおう)岳」とある。
また『八溝故事物語』には、「黄金(おうごん)山」とある。
「雲苓岳」は雲のかゝる高山の称、三国(常・野・奥)一の山に付けられた山名であり、「山王岳」は、連華のような八つの谷を持つ山頂に山王権現を祀る「八溝嶺神社」「日輪寺(にちりんじ)」があるためである。この神社は作神さまである。「花瓶山」「如来(ねらい)」(「ねらい」は地元でのよび名)などの地名もこのことに由来するものであろう。
前記『八溝故事物語』に、八溝の名は谷が深く、且つ多岐で、径(みち)を誤りがちで踏み迷うことがあり、高笹(たかさゝ)岳に悪鬼「岩岳丸」が棲んでいたので「これより先は闇(やみ)ぞ」という意味をもっているともいう。これは俗説であろう。
八溝の別名を「黄金山」ともいう。この山一帯は古来からの産金地で、須賀川でも金が採れた。南麓の馬頭町健武(ばとうまちたけぶ)には金山彦命を祀る延喜式の古社「健武(たけぶ)神社」がある。