4 御亭山の南腹

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御亭山塊の南半部の片田には凝灰岩の露出が見られる。曽て亀山石として石材の産出があり竈(かまど)石として声価を得たところである。亀山には那須氏と金丸(かねまる)氏の中世城館跡がみられる。いわゆる山城である。なお河岸段丘崖端には大関氏の山田城がある。こゝに付記しておく。亀山から矢倉(やぐら)にかけて山はあまり高くなく、頂面は稍平坦である。
 御亭山塊から流出する小手沢などの沢口には、中古のころ灌がい用溜(ため)が設けられ、那珂川左岸に形成された河岸段丘上を潤し、水田卓越地帯を現出してきた。この辺は古郷方田(かただ)の庄と呼ばれ、一目百町歩と俗称されてきた。
 北滝・片田地内には条理遺構がみられた。現在は基盤整備などで消滅しその跡はみることを得ないが、古い地籍図などで追跡することができる。なお地名などはその昔を彷彿させてくれる。北滝には銭室塚古墳があり、館の御前の居館跡などもみられる。那珂川の上流に開けた古代那須国の圏内にあったためか、遺構もみられ、古代色がぷんぷんとしている。