黒羽町の西部にある寒井(さぶい)・桧木沢(ひのきざわ)・蜂巣(はちす)・余瀬(よぜ)などは那須野ヶ原の東南部にある。古く那須の狩倉(かりくら)と呼ばれ、玉藻の前(たまものまえ)伝承地で犬追物の跡があり、頼朝(よりとも)による那須遊猟をみた那須の篠原(しのはら)の地である。また芭蕉(ばしょう)が「秣(まぐさ)負う人を枝折の夏野哉」「野を横に馬引きむけよほととぎす」と詠んだ風雅の里で、那須野は草野の中にあった。
那須野ヶ原の大部分は扇状地をなしている。北西部は那須火山群と下野山地に、東は八溝山地、南は喜連川(きつれがわ)丘陵に画されている。いわば那須岳の麓と那珂川・箒川に限られた面積約四万haの広大な扇状地である。こゝを那須扇状地と呼んでいる。(注、狭義の「那須野」である。)県内の主な扇状地はこの那須扇状地のほか今市扇状地・鹿沼扇状地・小倉川扇状地・吹上扇状地・田沼扇状地などが数えられ、甲府盆地にも模式的な扇状地がみられる。那須扇状地は那珂川にそう西北―東南の断層と大佐飛地塊の東端や高原(たかはら)火山の東斜面を南北に切る約十八kmの安戸山断層との間にできた陥没地に、那珂川・蛇尾川(さびがわ)・熊川・箒川などが作った複合扇状地であるという。全体の形は紡錘形である。高度は西北端五〇〇メートルから東南に低く、約一〇〇メートルの高さで終っている。(「栃木県新誌」奥田久などによる)