八溝の山容は遠望すれば円(まろ)やかで、溝(みぞ)に迷へば険しく、滔々たる那珂の流れは、人生への処生訓を与えている。八溝山登山に際し晴天に恵まれ、青垣山に接し、大那須野の広大なさまに感動したことがある。しかし旧登路を下山中に驟雨に遭遇したことがある。沢道は滝のように黄に濁った雨水に浸され、恰も河水を下る思いをした。これは偶々不意に出合ったことであるが、つねに八溝の山容は雨水のため浸食され、現在目撃するような多岐にわたる溝ができ、沢が形成されてきたのである。八溝山の浸食過程、さらに那珂川の河岸に形成された数次の段丘が形成されてきた歳月を思うと気が遠くなる。そこに自然の大きさを感ずる。そしてこのような自然の中に、喜びと悲しみの歳月を生きてきた先人の心が思われ、自分が小さく見える。
黒羽町の自然は美しく豊かである。しかも先人の営みがみられた生活の舞台で、喜びと悲しみとが染(しみ)透っている。
『日本の景観』(樋口忠彦)によると、「日本の景観を特徴づける地形的な基本的な類型を「盆地」「谷」「山の辺」「平地」とし、そこに歴史的風土がつちかってきた自然地形と人間とが調和した景観を幾つかに分類している。そしてこれ等を古代から日本人が築きあげてきた〝ふるさとの原型〟としている。
「人々の心の中には、共通して好ましいと思われる風景が、ひっそりと息づいているはずである。景観を破壊から守り、時代の変化に適合した景観を創造するためには、印象論の域を出ない従来の景観論にかわって、風景の見方を論理的に整理してみる必要がある」と述べている。
『景観地理学講話』で辻村太郎は景観地理学を提唱した。景観はドイツ語のLandschaftに対して、植物学者の三好博士が与えた名称である。景観を「眼に映ずる景色の特性」と考え、「地理的な景観の全体性と、これを有機的に結合する統合性」に重きを置いている。しかし一方では分析的研究によって景観性質も検(しら)べる必要をも力説している。
自然の状態は気候及び土地の性質に基づいて、景観発達の基礎を構成し、人力が加わるにつれて、幾多の文化景観が形成されるのである。ある気候と地形を有する土地で、一定の経済社会状態のなかで、最も適当な作物が栽培され、且つ豊かな収獲が得られたとすれば、そこから渾然とした調和の感じを与えてくれるものである。調和とか不調和とかの感じは、景観要素の相互関係の有機的な性質が存在し、その機能が完全であるかどうかに起因する。
例えば黒羽城址一帯について考えてみても、その地形と土壌、気候と土塁や空濠などの遺構、鎮国社・大雄寺、家中屋敷などの建造物などの構築物、さらに最近建設された主幹道路・山村開発センター・町民体育館などの公共施設・民間の住宅など、その他緑化に至るまで、調和が得られるように営むことが大切である。牧歌的な山里・田園地帯・河畔などにしても、機能的な、しかも有機的な調和が得られるような景観でありたいものである。自然をよりよく耕すことによって文化を育てることができる。われわれは自然が与える支障条件を矯(た)めながら、自然のよさを助長できれば何よりである。
わたくしたちは、黒羽の山と川を愛し、今日の文化を育てゝきた。この恵まれた歴史的風土を一層培いながら、さらに香り高い文化を築きたいものである。川を遡れば今も清い水がある。奥深く行けば無垢の山がある。故郷の山河は、人間形成に深いかかわりがあったのである。