三 御用日記

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 『御用日記 扣』「文化十五年寅正月五日」(表紙)は、大豆田村留蔵と重兵衛とが文政二夘年正月に御奉行様宛報告した『時令ならびに晴雨耕作豊凶』(自文化十五年正月元日至十二月晦日)の控である。
 次にこの内容の一部を抄出する。
   文化十五年『御用日記 扣 』(抄)
    覚
  (一月)元日 つち能とい 立春正月せつに成ル
 日能出より東南に赤雲阿り。北丑寅能方に雲有て風なし、甚晴天四ツ時より南風少〻ツヽ吹て暖気なり。五ツ半頃より西北東江大雲出、八ツ時雪少〻婦り出し直に雪止。丑寅風吹出し大きに寒し。七ツ半頃より雲南ニテ附雲たれて日入に成ル。夜ニ入ても所々小雲阿り四つ時より晴天に成風止。夜半晴天ニ而大霜婦りて夜暁に成ル。
  二日
 朝より東南に雲出て風なし。甚寒し。五ツ時に成て所〻に雲見へる、天気よし。四ツ時より南風吹出し九ツ半頃より西山岸に雲懸り七ツ時より所々に雲出て薄曇りに成ル。風志津加に成て日入に成ル。夜に入五ツ頃より雲たれて晴天に成ル。四ツ半辺より丑寅風吹出し夜半大風晴天ニ而暁七ツ時より風志つかに成りて夜暁になる。
  三日
 朝になりても風不止薄曇りニ而日能出に成ル。五ツ時より東の雲切れて晴天に成ル。四ツ時より北風に成り所々雲阿り。八ツ半頃より薄曇りに成り七ツ半頃より風志つかに成りて日入に成。夜に入ても所々に雲阿り五ツ半頃風止て雲たれ四ツ時より北風少シツヽ吹甚寒し。夜暁に成る。
  四日
 朝になりて東南に雲附、五ツ時より雲はれ晴天なり。風なし。一日晴天にて少〻暖気ニ而日入に成ル。夜に入ても夜中晴天ニ而大霜婦りて夜暁に成ル。
  (二月)十一日
 朝に成りても曇り空ニ而雪ちらつき出て寒し。丑寅風少〻ツヽ吹五ツ半頃より雪大キに婦り出し一日雪婦りて風少〻ツヽ吹日入に成ル。夜に入雪止て空はれ四ツ半頃より空曇りて雪少〻ツツ婦り出し夜中雪風止、夜暁に成る。
  十二日 飛かん入口なり
 朝に成りても雪少〻婦り甚寒し。五ツ時雪止、丑寅風不止少こツヽ吹四ツ時より南風に成り、八ツ時より北西に雲懸り七ツ時より北風に成り雪婦り出し雷の音二三度有之雪風不止。四ツ半頃より雪止風つよく成り空はれ初り夜中風不止、晴天に成りて夜暁に成ル。
  廿八日
 朝に成りて雨止風なしニ而冷気成、尤曇空なり、五ツ時より北より雲はれ晴天ニ成。四ツ時より南風吹出し九ツ半頃より西方より雲出て八ツ半頃より雷能音有之雨婦り出し稲妻有之七ツ時辺につよくなり七ツ半辺ニ雨止。西北より風吹出し東能方に雲納りて日入に成ル。夜に入て空はれて夜中晴天ニ而霜婦りて夜暁に成ル。
  (三月)十日
 朝に成ても晴天ニ而風なし。少〻冷気なり。五ツ時より少々暖気に成ル。
 附り、当年ハせつ遅れ候哉、惣而木草延なり、梅桜能花一度にさきてこ婦し能花なども一度にさき、麦作草生ハ当日に入て能志めりニ而宜拝見申候。去ル二月ゟ今日に至を風なき日無之、尤大風折々有之冷気がちにて未〻荒タル年柄也
 五ツ半頃より南風吹出し、四ツ時より北西に雲おこり夕立の様子成り、直に北風裂しく吹出し雨少〻婦り寒し。北山に雪婦る。四ツ半辺に北山岸より雲切れて空晴天になり九ツ半頃より少々暖気に成り北風不止日入に成ル。夜に入て風止夜中晴天ニ而夜暁に成ル。
  廿六日 苗代種蒔済
 朝に成りても雨風不止して少〻冷気成り。五ツ半頃より辰巳風に成り雨次第につよく成り八ツ時頃雨止北風に成り七ツ時より雨婦り出し風雨不止して日入に成ル。夜ニ入ても雨風不止して四ツ時より雨止。風少〻ツヽ順て八ツ半頃より空はれ初り、七ツ時より晴天に成りて夜暁に成ル。
  (四月)二日
 朝に成りても薄曇りニ而風なし。暖気成り。五ツ時より雨婦り出し南風吹て雲北江飛四ツ時より大雨ニ而八ツ時より川之水増中川舟止ル。八ツ時より雨よはくなり、七ツ時頃雨止。雨少〻婦り出し日入に成ル。夜に入ても雨少〻ツヽ婦り四ツ時より所々暁方より晴天に成て夜暁に成ル。
  廿日 但し苗代の根くさりて不宜様子に成ル。
  (天気の記事略す。以下記事なきは同断)
  廿二日 岡穂蒔
  (五月)十三日 田植始り苗不足故少し宛植始ル
  廿九日 半夏
 朝照空晴五ツ頃少し曇り甚熱シ。空に雲片〻ニ有之九ツ頃西北ニ夕立雲起雷声在八ツ半過北ノ方ヨリ雲掩雨降大雷三四度在之、大雨ニ而至テ能シヲイ也。諸作悉得勢七ツ半過雨止。曇空ニテ日入ニ成。且村内田植不残相済今日例之通温泉兎田植相済惣早苗振ニ相成。夜中晴天ニ而暁ニ成。
  (六月)十三日
 朝ヨリ曇空ニ而南風少シ吹五ツ半頃ヨリ雨降出し頻ニ降。辰巳風ニ而吹降ニ成中川洪水ニ成暮方雨止テ日入。空少し晴。直ニ曇暁ニ成。
  廿六日 今朝露霜降タル様ニテ青物之葉少シ枯
 未明ヨリ晴天ニ而丑寅風吹冷気也。悉ク照テモ涼敷。七ツ頃ヨリ曇テ日入ニ成テ西ノ山際少シ晴、暮ニ成。夜中曇空ニテ丑寅風強ク吹曇空ニテ暁ニ成。
  廿九日
 未明ヨリ晴天ニ而東ノ方ニ少し霧ノ如ク見ル間モ無消テ悉ク照無風静也。尤昨夕之雨ニ而諸作大ニ勢ヲ得又此間中四五日之風ニ而稲ノ葉先赤ク相成候処、此シメリニ而又可成ニ立帰り可申候(以下略)
  (八月)二日 二百十日
 朝之内薄曇空ニ而五ツ頃ヨリ照立悉ク暑九過ヨリ北東ニ夕立雲起雷声在テ雲掩、雨降来様子ニ而少しふり直歇。曇空ニ而日入ニ成。夜モ曇テ処々ニ晴間在テ暁ニ成。
  (十月)廿日
 従未明静ニ而霧降寒。悉晴天ニテ日中南風少吹暖気也終日晴天ニ而日入暮方少曇又直ニ晴、夜モ晴天ニ而暁ニ成。
  附 諸作分量
   田方
 早稲中稲晩稲均八分位
   畑方
 大麦 小麦 均六分位
 稗 五分五厘位
 大豆 小豆 均五分位
 粟 七分位
 胡麻 八分位
 油荏 四分位
 岡穂 五分位
 木綿 七分五厘位
 菜 蘿蔔 六分位
 茄子 六分位
 蕎麦 五分位
 煙草 五分位
  (十二月)晦日
 従来明晴天ニ而風少吹悉厳寒ニ而北之山雲掩不見、終日風吹日入夜ニ入風少弱成寒気厳敷寔ニ稀成、大寒也。夜終晴天ニ而暁ニ成。
                    大豆田村  留蔵印
                          重兵衛印
  文政二夘年正月
   御奉行所様
 この『御用日記扣』(文化十五年)は、大豆田礒正次家文書であるが、同家にはこのほかに次の二冊の御用日記が現存している。
 『御用日記抄』(文化十四年丁丑正月吉日、大豆田重兵衛)、『御用日記覚』(文政六年未正月元日)
 なお同家には『創垂可継』(農政録)の『時令考』の重要資料となったこの『御用日記扣』のほか、同書『稼穡考』の基礎資料となった「御代官様」宛『乍恐奉書上候耕作蒔仕付方之事」(文化十三年子八月、大豆田村 書上人 重兵衛 同所 名主 利右衛門)と「御奉行様」宛『乍恐左ニ奉書上候寅耕作「麦作之事 田作之事 畑作出来方之事」(文政二年卯正月、 大豆田村 留蔵 重兵衛)がある。これは『御用日記扣』と関連のある『書上』である。
(参考)

関谷家年々玄米反当収量(四ヶ所平均)
「関谷家稲刈覚帳の研究」(農林省業綜合研究業書第1号)による。
(注)天候との関係などが推察できる資料である。なお関谷家は両郷にある。

(注)関谷家は、黒羽町大字両郷にある。同家に『籾取高覚帳』がある。これは同家第六代文左衛門を創始者とす。文化七年から明治十七年(一八一〇―一九四二)までの各田地毎に籾の収穫量を記録した文書で農業経営の実態を知る上に重要な資料であるが、災害気象などを研究する重要な文献となっている。本稿に参考のため「年々玄米反当穫量」のグラフのみ掲げた。