和銅元年(七〇八)多治比真人広成(黒羽藩主大関氏の遠祖)は下野国司に任命され、天平四年(七三二)には遣唐使となっている。(注、多治比系伝)
古郷に那須・方田・大野・全倉・など十二郷がある。このころ公地公民制に基づき斑田収授の制が施行されていた。そして土地政策として条理制が施かれていた。その遺構は最近まで片田・北滝などにみられた。この頃の水田は湿田が多かったという。なおこの地方は那須絹の伝承地である。
これらの墾田を基盤として、寄進地系荘園へと進展していったという。
5 古代の道と文化