下野は五畿七道のうち、東山道に属し、その官道が東山道であった。この道を媒介として中央集権的な律令国家の確立がなされたのである。
下野国内の東山道の駅家(うまや)は足利、三鴨・田部、衣川(きぬがわ)、新田、磐上(いわかみ)、黒川などで、磐上は小松原遺跡(湯津上村)付近で、黒川は伊王野付近と比定され、余瀬―蜂巣―桧木沢―寒井はその通過地にあったものとみられている。
さらに鎌倉時代になると、鎌倉を中心とした道が発達し、道筋も福原道が併用された。官道は調物輸送と官吏、兵団が通行し、公達や名僧に因む伝承を沿道に残した。