1 支配のすがた

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下野国は幾つもの大名領のほか、寺領、神領、幕府の直轄地や旗本などの領地があり、複雑に入りくんでいた。現在の黒羽地内も例外ではなかった。これは幕府の政策があったからである。
 黒羽町の大部分の土地は近世のころ、黒羽藩主大関氏の支配地であった。しかし、そのなかに雲巌寺領百五十石、直轄地、旗本領が介在していたのである。
 黒羽藩の石高は一万八千石(寛文四年の御朱印状)である。その内訳は那須郡の内六十四か村、一万四千三百三十八石六斗余、芳賀郡の内六か村三千六百六十一石三斗余である。
 村高の例を須賀川村にみると高一千二百十九石七升(『創垂可継』「封域郷村誌」)で、さらに「村高控帳」(天保十二年金沢家文書)によると高十石一斗三合惣次郎とあり、逐次細分されていたことがわかる。
  (参考)
  真岡陣屋御支配所内那須郡の村々

  真岡陣屋御支配所内の那須郡の村々は、元治元年(一八六四)四月の『真岡御陣屋詰合手扣』(天狗騒動関係資料)〈大田原市、森家文書〉によると、左記のとおりである。
 このなかに、上瀧、下瀧・寺内・雲岩寺・両郷・亀山などが含まれている。
真岡御陣屋、元治元甲子六月新附
    那須郡村数
金枝  鹿子畑  高畑  沼畑  三本木  小郷野  大滑  大沢  苅田  船沢  西戸田  藤田
古料
塙新料 新々料   [   ](虫損)
〆十六ケ村
大神  福原  浄法寺  荒宿  片腐(府)田  中居 八木沢
三斗内 高ノ巣  成田 古料・新料
〆十ケ村
上瀧 新料  下瀧 同古料  寺内  雲岩寺  鹿畑  湯津上 同新料
〆九ケ村
鍋掛  伊王野  両郷
〆三ケ村
市の沢  練貫  下大塚新田  三本木  木綿畑中  沼ノ田和  大原間  東小屋  山中新田  下厚崎  上厚崎  上大塚新田  西沓掛  東沓掛  前弥六  北弥六 唐杉  岩崎  細竹  亀山  黒磯
〆廿壱ケ村
 木綿畑中  湯宮  鴫内  百村  油井
 〆五ケ村
 〆六十四ケ村  下瀧
          古料 壱組
          新料 四組
          新々料弐組
          〆七組引
 金五十七ケ村 御支配所ニ相成候
『栃木県史』による。