3 検地と家臣追放

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黒羽藩領は一般に土地生産性が低く且つ給人が多かったので、経済生活の高まりのなかで、藩財政は苦しくその立て直しのため藩政改革に迫られていたのである。
 家臣十七騎の召し放ち、検地、蔵入化が強力にすゝめられたのはそのためである。
 享保二年(一七一七)家中借上が実施され財政立て直し策は強化された。増興は重臣簗瀬昌向(玄水)と鈴木武助を任用し、漆木栽培をすゝめ、百姓身持教訓書などを令した。増備(ますとも)は世子のころ『政事改正考』を草した。なお藩士興野隆中と隆雄は植林に大きな業績をあげた。