主たる利器としては、打製石器・磨製石器が使われ、特に、木材加工具・土掘具としての石斧、狩猟具としての石鏃、その他、加工・調理具としての多種の石器が知られている。
また、石器の他に、骨角器の使用も認められ、特に、銛・釣針など漁具として使用されたことと思われるが、本町のような貝塚のない地区においてはその出土を見ない。
このような利器・用具からも明確なように、この時代の人びとは狩猟・漁撈・植物の採集の生活が主である。
住居は、縄文時代の初頭においては、自然の洞穴や岩蔭を利用するが、本町にはそのような立地をなすものは発見されず、竪穴式住居を使用しているものと思われる。
なお、縄文時代は、土器の型式分類・生活形態の変化などによって、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の六時期に区分され、更に、土器型式により細分される。その編年表を次にかかげるが、本町が関東最北部に位置すため、東北南部の土器型式が移入・混在していることを考慮し、関東・東北南部の編年を示す。
さて、黒羽町の縄文時代の遺跡であるが、東に八溝山地を有し、狩猟、植物採集の絶好の地となったであろうし、また、西に那珂川を臨み、漁撈に適し、本町の河岸段丘上、また台地上には数多くの遺跡が存在する。昭和五十年栃木県教育委員会刊行の『栃木県遺跡地図』の埋蔵文化財包蔵地所在地一覧によれば、縄文時代の遺跡数八十四を数え、そのすべてが集落跡となっている。しかし、これらの調査は、発掘調査等、学術調査の手を経ているものは極めて少なく、表面採集や偶然な機会によって得たものが多い。そこで、ここで黒羽町の縄文文化を論ずることは危険であり、不可能に近い。そこで、本節では、時代区分に従い、主たる遺跡を表面採集の結果と先学の研究成果を紹介し、略述するにとどめたい。
縄文式土器編年表 |
関東 | 東北南部 | |
草創期 | 大谷寺Ⅰ | 日向 |
大谷寺Ⅱ | 一の沢Ⅰ | |
大谷寺Ⅲ | 一の沢Ⅱ | |
井草(大丸) | 一の沢Ⅲ | |
夏島 | ||
稲荷台 | ||
花輪台Ⅰ | ||
早期 | 花輪台Ⅱ | |
三戸 | ||
田戸下層 | ||
田戸上層 | ||
子母口 | 大寺・常世 | |
野島 | ||
鶴ケ島台 | ||
茅山下層 | 素山 | |
茅山上層 | ||
前期 | 花積下層 | 室浜 |
関山 | 大木Ⅰ | |
(文蔵) | 大木2a | |
黒浜 | 大木2b | |
諸磯a | 大木3 | |
諸磯b | 大木4 | |
諸磯c | 大木5 | |
十三菩提 | 大木6 | |
中期 | 五領ケ台・下小野 | 大木7a |
阿玉台Ⅰ・勝坂Ⅰ | ||
阿玉台Ⅱ・勝坂Ⅱ | 大木7a | |
阿玉台Ⅲ・勝坂Ⅲ | ||
加曽利EⅠ | 大木8a | |
加曽利EⅡ | 大木8b | |
加曽利EⅢ | 大木9 | |
大木10 | ||
後期 | 称名寺 | |
堀之内Ⅰ | ||
堀之内Ⅱ | 南境 | |
加曽利BⅠ | ||
加曽利BⅡ | 室ケ峰 | |
加曽利BⅢ | ||
曽谷 | ||
安行Ⅰ | (新地) | |
安行Ⅱ | 金剛寺 | |
晩期 | 安行Ⅲa | 大洞B |
安行Ⅲb | 大洞B―C | |
安行Ⅲc | 大洞C1 | |
杉田Ⅱ | 大洞C2 | |
千網 | 大洞A | |
大洞A’ |
日本原美術Ⅰ縄文土器による。 |