本町における早期の土器出土地は十一か所を数え、そのほとんどは田戸下層式・茅山式土器であり、沈線文および条痕文系の土器であり、深鉢形尖底あるいは平底を呈するものの破片と思われる。なお、茅山式土器には、胎土に多量の繊維が混入している。
本町における遺跡としては、両郷地区にそのほとんどが集中しており、八溝山地の南・西向の斜面および頂部に立地している。中妻・上岡平遺跡は茅山式土器および前期関山式土器を中心とした集落跡と考えられ、多くの破片が収集されるが、現在放草地として、開墾され、黒色腐触土が動かされ、遺跡中心部にはないため、破壊は相当すすんでいるものと思われる。