本遺跡は、那須野ヶ原最東端に位置し、那珂川右岸の河岸段丘上にあり、南側は湯坂川が開析した平地となっており、東部水田面よりの比高約十メートルを数える舌状台地状の突端部に広範囲に広がっている。川西小学校校庭部分にも多数の住居跡があり、多くの出土遺物をみたことであろうが、その造成時の様子は全く伝っていない。しかし、昭和九年校地拡張にともない、現校舎部分の校地造成を行った際に、完形土器五個と多数の縄文中・後期土器片、打製石斧等石器の出土、また石囲炉をともなった竪穴式住居跡二基が発掘され、当時、大田原中学校教師の渡辺喝山氏がこれを調査している。
川西小学校遺跡・出土土器
五個の完形土器は、いずれも深鉢形であり二個は中期加曽利E式、三個は堀之内式と思われる。
文献「考古学雑誌」第二五巻第三号
「栃木県那須郡石器時代住居趾」
「栃木県那須郡石器時代住居趾」